ジョブズの伝記にかならず登場する『ホール・アース・カタログ』は、そんな時代の空気のなか、カウンター・カルチャーの代名詞的な存在とも言えるスチュアート・ブランドによって1968年に創刊された。バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」を連想させる雑誌の中身は文字通りのカタログで、当時あちこちに生まれつつあったコミューンで暮らすヒッピーたちの生活を支える情報や商品を掲載したものだった。
彼が唱えた「Access to Tools」はDIYの精神にもつながり、いかにもヒッピーたちのコミューンにふさわしい。雑誌そのものは1974年に廃刊となるが、このとき裏表紙を飾った「Stay hungry, stay foolish.」というメッセージは、2005年にジョブズがスタンフォード大学の卒業式で自分の人生を決定づけた言葉として引用し、世界的に有名になった。
ジョブズたちが実現しようとした理念そのもの
多くの人が指摘するように、スチュアート・ブランドはカウンター・カルチャーとコンピューターの橋渡しをした人物と言えるだろう。それは単にジョブズが『ホール・アース・カタログ』の愛読者だったからではない。創刊号の最初のページには、「自分だけの個人的な力の世界が生まれようとしている――個人が自らを教育する力、自らのインスピレーションを発見する力、自らの環境を形成する力、そして興味を示してくれる人、誰とでも自らの冒険的体験を共有する力の世界だ。このプロセスに資するツールを探し、世の中に普及させる――それがホール・アース・カタログである」というスチュアート・ブランド自身の言葉が掲載されている。
これはジョブズたちがコンピューターで実現しようとした理念そのものと言っていい。スタンフォードのスピーチで雑誌のメッセージを引用したとき、ジョブズのなかにはスチュアート・ブランドの意志を引き継ぐ者としての思いがあったに違いない。
そんな『ホール・アース・カタログ』は、最終号と創刊号の表紙だけで歴史に名を残している不思議な雑誌である。創刊号が有名なのは表紙に使われた1枚の写真のせいだ。そのころスチュアート・ブランドは、いろいろなヒッピーのコミュニティーを転々としながら気ままな暮らしをしていたらしい。当時、ヒッピーご用達のドラッグといえばLSDである。
その効果もあったのだろう、あるとき彼は地球がいかに小さいか、そして誰もがその小ささを理解することがいかに大切かを直観する。「これがあらゆる病気の原因だ。このことを広く知らしめなければならない」と考えたスチュアート・ブランドは、NASAを説得して1枚の写真を借り出すことに成功する。宇宙に浮かぶ地球のカラー写真である。これが創刊号の表紙を飾る。
この1枚の写真こそ、若い世代に芽生えつつあったグローバルな意識を象徴するものだった。写真の登場が近代的な自己や自我の誕生を促したとすれば、宇宙から撮影された小さくて美しい地球の写真は、人工衛星や宇宙ロケットとともに成長した世代の惑星化を促したに違いない。彼らは地球規模で感じたり考えたりするようになった最初の世代だった。もちろんジョブズもその1人である。