1984年のジョブズが「独裁者」に打ち込んだ楔 「ホール・アース・カタログ」にその原点がある

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「知の解放をコンピューターの可能性に託す」ティモシー・リアリー、1994年3月(撮影:小平 尚典)

日本では大麻取締法で厳しく規制されていることもあって、ドラッグというと「悪いもの」というイメージが強い。またぼくたちの世代だと、『イージー・ライダー』や『ウッドストック』などの映画の影響もあり、マリファナを吸って裸のおねえさんたちといろいろするみたいな感じである。もちろんそういった面も多分にあっただろうが、1960年代末のアメリカでドラッグ・カルチャーはカウンター・カルチャーと緊密に強く結びついていた。

背景には、肥大する消費社会を覆う不条理な現実があった。ケネディ兄弟やキング牧師などの相次ぐ暗殺、ベトナム戦争で戦地に送られて死んでいく若者たち。反戦運動に身を投じる学生や新左翼の活動家たちを含めて、この時代の対抗文化を担った人たちのなかには、ドラッグの助けを借りて既存の宗教やイデオロギーに依存しない世界観を打ち立てようとする人たちが数多くいた。とくにLSDは感覚や感情、記憶、時間などが変化したり、拡張したりする体験を引き起こすとされていた。

コンピューターは権力の象徴だった

ここからカウンター・カルチャーがドラッグ・カルチャーを媒介にしてコンピューターとつながっていく契機が生まれる。ちょっと意外な気もするけれど、当時のカウンター・カルチャーの人たちの多くは、コンピューターをペンタゴンなど体制側に帰属するものととらえていた。たしかに世界で最初の電子式コンピューターといわれるENIACの開発も、ヨーロッパに配備される大砲の射表を作成することが目的だった。開発資金の提供も1943年に陸軍省が決定を下している。その後も大型コンピューターの製造と販売はIBMがほぼ独占しつづけ、ユーザーの多くは政府や大企業である。まさにコンピューターは権力の象徴だったわけだ。

1984年にマッキントッシュの発売にあたり、ジョブズがリドリー・スコットにディレクションを依頼して作らせた、「1984年」という有名な60秒のスポット広告がある。「1984年」は言うまでもなくジョージ・オーウェルの小説『1984年』を念頭に置いたものだ。

巨大なスクリーンに映る独裁者風の男が、陰鬱な声で絶対服従による啓発の可能性を語る。その言葉に耳を傾けるゾンビのような大勢の男女。白黒で表現されている彼らのなかを、1人だけ色のついた女性が駆け抜けていき、最後に手に持っていた巨大なハンマーを放り投げてスクリーンを破壊する。そこに天啓のようにしてナレーションが入る。「1月24日、アップル・コンピューターがマッキントッシュを発売します。今年、1984年が『1984年』のようにならない理由がお判りでしょう」

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