こうしたグローバルな意識が、時代を経てインターネットやオンラインやウェブといったソーシャル・メディアを生み出していくことになる。1980年代以降に起こったソーシャル・テクノロジーにおける数々のイノベーションは、パーソナル・コンピューターとともに育った世代にとってのアポロ計画みたいなものだったのかもしれない。
1975年に公開されたミロス・フォアマン監督の映画『カッコーの巣の上で』は、精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、薬と権力によって患者たちを抑圧する病院の管理体制に疑問を感じ、持ち前の反逆心から入院患者らとともに人間の尊厳と自由を求めて闘うというストーリーだ。最後にロボトミー手術を受けて廃人にされてしまう主人公を、ジャック・ニコルソンが演じてアカデミー主演男優賞を手にしている。
原作はケン・キージーが1962年に発表した同名のベストセラー小説(”One Flew Over the Cuckoo’s Nest”)で、彼はスタンフォード大学で学ぶかたわら、精神病院の夜間アルバイトで経験したことを生かして小説を書いたと言われている。
コンピューターとカウンター・カルチャーの交差点
このキージーが、スチュアート・ブランドとともにコンピューターとカウンター・カルチャーの交差点に姿を現す。本がベストセラーになった後、彼は本の売り上げを資金にして「メリー・プランクスターズ(Merry Pranksters)」なるヒッピーのコミューンを設立、「ファーザー」という派手な虹色に塗り上げたバスに乗って大陸横断の旅に出る。当時は合法的だったLSDを普及するためというから、まさにカウンター・カルチャーを絵にかいたような人だ。
ちなみにキージーたちのバス・ツアーはビートルズの映画『マジカル・ミステリー・ツアー』(1967年)のモデルになったと言われている。発案者はポールだったらしい。呑気そうな顔をしているけれど、なかなか目配りの行き届いた人である。
サイケデリックなツアーから戻ると、キージーは自宅で「アシッド・テスト」と称するLSDのパーティを開きはじめる。これは一種のトリップ・フェスティバルで、入場者にLSDを配り、ジミ・ヘンドリックスやグレイトフル・デッドが音楽を演奏し、アンディ・ウォーホルなどのアンダーグラウンド映画を放映したというから、おそろしくヒップなイベントである。キージーが主宰する「メリー・プランクスターズ」の常連の1人がスチュアート・ブランドだった。やがて彼はキージーとともにトリップ・フェスティバルをプロデュースするようになる。