もちろん、それだけ使えるお金があるなら余計なお世話だが、残念ながら収支を計算すると見事に赤字になっているケースがほとんどだ。せめて1000円単位で支出をとらえる癖をつけてほしいと願う。
なお、単位について、先のサイゼリヤ創業者・正垣氏はこんなことも書いていた。サイゼリヤはイタリアンレストランなので、前菜からデザートまで自由に料理を選んでもらいたい。それには値段を見ずに注文できる状態を作る、つまり1品当たりの価格が安くなければならず、参考にするのがその国で最も売れている消耗品の価格だと。
同店のグランドメニューでは300円、400円のメニューが多い。つまり、この金額ならメニュー価格を吟味ぜすとも抵抗なく払える単位だとしているのだろう。複数品を自由に選ぶことを前提にした価格設定は、ファミレスというよりは居酒屋に近いかもしれない。ちなみに著書内では、価格の参考にしたのは当時のたばこや週刊誌の値段とあったが、それは昔の話。今ならスタバのコーヒー1杯あたりだろうか。
100円ショップ戦略に近づくのか
「安さ」を追求するもう1つの代表的存在といえば100円ショップだ。「なんでも100円」という価格のわかりやすさが財布のひもを緩める。
雑貨がメインの300円ショップも同様で、3アイテム買えば1000円で収まるという計算がすぐできるところがいい。さらには「100円」「300円」が基準点となって、消費者はその価格に見合う価値があるかないかをジャッジしながら商品を選ぶ。
実は100円ショップ最大手ダイソー創業者の矢野博丈氏と、サイゼリヤの正垣氏は同じようなことを語っている。
正垣氏は、お値打ちな料理とは価格が安いのではなく、「この値段なら、この程度の価値が必要だ」という基準を上回っていることが必要だと書いている。価格以上においしいと思われなくては、たとえ安くても客はお金を払い続けないだろう。
100円ショップの商品もそうだ。「100円で100円のものしか買えなかったら、お客さんは興味を持ちません。100円でこれだけのものが買えるのか、と思ってもらわないとダメなんです」というのが矢野氏の弁だ(『百円の男 ダイソー矢野博丈』/大下英治著より)。
サイゼリヤが末尾0円戦略に舵を切ると、消費者はこれまでの末尾9よりも「『この価格=基準』に対して、この料理はありやなしや」と考えやすくなるだろう。ミラノ風ドリアが300円となった後、そのオーダー数がはたしてどう変化するか、興味深く見守りたい。
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