海外の作品が街角の書店に並ぶというのは、ごくありふれた寸景だ。漫画からライトノベル、ハードルの高そうな純文学や哲学書まで、多岐にわたるジャンルの本たちが、さまざまな国から旅立って、毎日世界中の読者に無数の物語を届けている。日本で生まれた作品もまた、見知らぬ国へ旅立っている。
しかし、文学作品のタイトルの翻訳は、悩ましい場合が多い。手に取ってもらうための、練りに練ったタイトルを、単純に置き換えるわけにもいかない。ストーリーの一部となり、解釈のカギを秘めていることもあるので、気をつけないとせっかくのカラクリが台無しになりかねない。
『細雪』の残念な英語版タイトル
1949年に刊行された、谷崎潤一郎の長編小説『細雪』は、連載当時から人気が高く、今や何カ国語にも翻訳されている。タイトルとなっている「細雪」は、まばらに降る細かい雪のことを意味している。あまり耳にしない表現ながらも、詩情をそそる語句で、小説の挽歌的な性格にぴったりだが、英訳はなんと『The Makioka Sisters』。
確かに、蒔岡家の4人姉妹をめぐる物語なので、わかりやすさを狙って選考されただろうけれど、オリジナルのタイトルが醸し出している雰囲気はどこにもない。ちなみに、同じ作者の『私』という短編は、『The Thief』 と訳されているので、考えようによってはネタバレとも言える。
タイトルが作品のウケやイメージにまで影響してしまうのは、翻訳にだけ関係している問題とは限らない。言語が変わらずとも、口承文学として伝播された昔の物語も、同じ運命をたどっているケースは多い。誰が、いつ、なぜそのように付けたのか…‥編集者が単なる思いつきで選んだかもしれないタイトルは、読者の解釈を惑わすときもあれば、新たな発見への糸口を示してくれることもある。
例えば、『和泉式部日記』。今は日記と呼んでいるが、かつては『和泉式部物語』というタイトルの方が一般的だったそうだ。日記か物語か、作者は和泉ちゃん本人なのか、それともゴシップに飛びついた女房なのか、書かれている内容をどこまで信じていいのか……いろいろ考えさせられる。しかし、日本の古典文学の中では、もっとも謎めいたタイトルといえば、間違いなく『竹取物語』なのではないかと思う。
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