「竹取物語」冴えないタイトルに隠れた深い意味 なぜ絵本のように「かぐや姫」じゃないのか

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しかも、爺さんにスポットライトを当てて、あれやこれや考えているうちに、今まで注目していなかったエピソードが気になり出して、その人物像の完成度の高さに驚くばかりである。かぐや姫に一生懸命結婚を勧めていたり、車持皇子がしれっと差し出した偽物に騙されてルンルンしながら寝室の準備を始めたり、ミカドに気に入れられようと動き回ったり、ちょっとずる賢いところがあれど、可愛くてどんどん好きになっちゃう爺さん。そして、彼の人間性が最も顕著に表れている姫とのお別れ、読み返すと思わず目がうるっとしてくる。

竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫言ふ。「ここにも心にもあらでかくまかるに、昇らむをだに見送り給へ」と言へども、「何しに悲しきに見送り奉らむ。我を如何にせよとて、棄てては昇り給ふぞ。具して率ておはせね」と泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。
【イザ流圧倒的意訳】
かぐや姫は、心がひどく取り乱して泣きじゃくる爺さんに近づいてこう話す。「私だって行くのが辛いけど、せめて見送ってください」。彼女の言葉に対して、爺さんは「こんな悲しみを抱えて見送ることなんてできん!どうしろというつもりで、わしを見捨てて天に昇っていくの?一緒に連れてってよ」と泣き叫ぶので、姫も心が重い。

『竹取物語』はいろいろな文学が語り合う宇宙

なんて切ない……。我が爺さんは娘と一緒に成長し、ただのエロ親父から立派な父親に変容して行くのだ。すすり泣きをしながら別れを惜しむ彼の姿は、我が子が大人になる過程を見守る親そのものである。自分の知らない世界へと旅立っていく娘、星空を見上げて再会を願うことしかできない悲しみ。

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『竹取物語』を書いた人(たち)は『万葉集』だけではなく、当時の説話や失われてしまったたくさんの物語を知り尽くして、その凄まじい情報量を活かしながら、この素敵なストーリーを創造するに至った。しかも、ただ先行文献を引用することに止まらず、1つひとつの様式を少しひねって、表現の可能性をさらに広げて、いろいろな文学が語り合う宇宙を作り上げたのだ。

何を知っているかによって物語の感じ方は変わるものだが、最もすごいのは、何も知らなくても読者の心に響く力を持っているということ。だからこそ、1000年も読み継がれて、1000年先も読み継がれるのだろう。その宇宙の中で迷いつつ、自分だけの『竹取物語』を探す旅はまだまだ続く。

イザベラ・ディオニシオ 翻訳家

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Isabella Dionisio

イタリア出身。大学時代より日本文学に親しみ、2005年に来日。お茶の水女子大学大学院修士課程(比較社会文化学日本語日本文学コース)を修了後、イタリア語・英語翻訳者および翻訳コーディネーターとして活躍中。趣味はごろごろしながら本を読むこと、サルサを踊ること。近著に『悩んでもがいて、作家になった彼女たち』。

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