若者に日本の歴史をどう教えるべきか 山折哲雄×安西祐一郎(その3)

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日本は、神話と歴史がつながっている

山折:まったくこれは大人の責任です。例えば昨年、伊勢神宮の遷宮が話題になりましたが、私からみると、なぜ式年遷宮をやっているのかについて、日本の伝統と歴史にのっとって説明する記事はメディアに一つもありませんでしたよ。

山折哲雄(やまおり・てつお)
こころを育む総合フォーラム座長
1931年、サンフランシスコ生まれ。岩 手県花巻市で育つ。宗教学専攻。東北大学文学部印度哲学科卒業。駒沢大学助教授、東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教 授、同所長などを歴任。『こころの作法』『いま、こころを育むとは』など著書多数

根本にさかのぼっていくと、例えば「日本の歴史をどう教えるか」について以前からさまざまな意見があります。自虐史観か皇国史観かという二極の間に揺れて、依然として揺れ続けているわけです。

私が最も根本的な論点だと思うのは、神話と歴史の関係はどうなっているかということです。それが、ヨーロッパの場合とどう違うのかが、一番の根本問題です。神話から歴史への転換、そのプロセスをきちんと今の学校は教えていません。

ヨーロッパとどこが違うかというと、ギリシャに始まる西洋文明の神話と歴史の考え方は全く別次元の問題なんですね。神話は神話、歴史は歴史。ですからギリシャ・ローマ神話と、ヘロドトスやトゥキュディデスのギリシャの代表的な歴史家が記述した歴史については、これをはっきり区別して教えています。

その西欧流の考え方に基づいて、日本のわれわれの神話、歴史の問題を解釈しようとしてきたのが戦後教育の主流でした。『古事記』と『日本書紀』の神話的世界と、いわゆる考古学や古代史が明らかにした歴史の世界を別個の問題として切り離した。これが戦後の大きな問題だったと思います。

しかし実際には、日本の歴史はそうなっていない。神話的世界と歴史的時代は連続しているものとして考えられてきた。ところが、それでは日本の歴史が連続しているのはなぜか、という議論にまで至っていないんですよ。

安西:なるほど。

山折:私が考えるに、『記紀神話』に登場する神々には2種類の神がいます。

一つは「天津神」の神々。もう一つは「国津神」で地上に天孫降臨で下った神々。天津神の神々というのは、死ぬことのない永遠性を持つ神々です。だから仕事が終わって姿を消すときはお隠れになる。お隠れになるというのは、現代語では死ぬということですが、神話の世界ではただ一時的に姿を隠していることを意味します。

ところが「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」以降の、天孫降臨以降の神々っていうのは死んで陵(みささぎ)に葬られる神なんですよ。神もまた死ぬという思想がここにあります。その天孫降臨をした、陵(みささぎ)に葬られる神の中から神武天皇が誕生して、歴代の天皇の世紀に入っていくわけです。

つまり永遠性の神と、無常性の神の2種類の神々から成り立っている――そういうのが日本の神話で、それが歴史時代にそのまま連続してくる。それなのに、戦後の日本は、この歴史の見方と神話世界のあり方を、ギリシャ・ローマ神話とギリシャの歴史記述の手法で分析してしまっている。そうした反省を、日本の人文学や歴史学はしなかった。

ただし、このあたりの話がわからないと遷宮の本質がわからない。遷宮というのは旧正殿の神様を新しい新正殿に移す儀式です。私は前回の遷宮の際に、「火焚きの翁」という役を仰せつかって、遷宮の儀式を間近で見ました。そのとき感じたのが、古き神が死んで、新しい神が誕生する瞬間した、ということでした。「ああ、日本の神話というのは神の死と再生の儀式から成り立っていて、それが歴史時代につながっている、だから20年ごとに古きものはスクラップして新しいものをビルドするのだなあ」と実感しました。

今の神宮は必ずしもそのような考え方を認めていませんね。むしろ、「日本の神は永遠である」ということを前提にした解釈に傾いていると思います。けれども、「日本の歴史、あるいは神話世界は西洋の場合とは違う」ということを踏まえて歴史を教えることが、根本として大事なところだと思っています。

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