コロナ後の「国家と自由と資本主義」の行き先 「安定性と効率性の二律背反」が導く大衆心理

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マルクスの『資本論』に「貨幣はレヴェラーズだ」という言葉がある。「レヴェラーズ」とは、17世紀イギリスの清教徒革命において「法の下での平等」を唱えた急進派のことだ。つまり人間は、法の下だけでなく、お金の下でも平等だという意味である。

貨幣を持った人間は、身分や性、民族などの属性によらず、貨幣の額面の価値があるモノを買うことができる。貨幣は、人間を共同体的束縛から切り離し、個人の「自由」を与えてきたというのだ。

だが、その自由と引き換えに生まれるのが、所得や資産の「不平等」だ。

マルクスや社会主義者は、貨幣は自由をもたらすと言いつつ、それは「ブルジョア的な自由」だとして切り捨てた。これは、必然的に人間の自由を抑圧することになった。

一方、ハイエクやフリードマンのような自由放任主義者は、自由を強調するあまり、社会の不安定性を軽視した。

岩井氏はこの両者を「貨幣に関して十分な思考をしなかった」と批判し、現代のグローバル資本主義社会に対する警鐘として「貨幣とはなにか?」を丁寧に論じていく。

資本主義の「安定性と効率性の二律背反」

経済学では、資本主義について2つの対立する見方がある。1つは、アダム・スミスの「見えざる手」に全幅の信頼を寄せる、新古典派経済学だ。

規制など、お金の移動を妨げる「不純物」を取り除き、資本主義を純粋化し、地球全体を市場で覆い尽くせば、効率性も安定性も得られる「理想状態」に近づくという主張である。ハイエクやフリードマンが筆頭だ。

もう1つが、ケインズを代表とし、岩井氏の『貨幣論』にも受け継がれる不均衡動学派だ。

この立場では「資本主義には理想状態などない」とされる。資本主義を純粋化すれば、効率性は増すものの、安定性は減る。資本主義が幾多の危機を経ながらも、今日まである程度の安定性を保ってきたのは、ほかでもない「不純物」があったからだという主張だ。

この「不純物」には、複雑な税制、政府や中央銀行による市場介入、国家の制度のほか、言語、慣習など文化の違いなども含まれる。新古典派経済学は、これらを非効率性を生む敵とみなすが、不均衡動学派は、非効率性も含めて複雑さをそのまま受け止め、資本主義は本質的に「安定性と効率性の二律背反」を背負うと考える。

19世紀は自由放任主義思想が支配していたが、1929年の世界大恐慌後、ケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』を出版して「ケインズ革命」が起きた。さらに、アメリカ政府が積極的に市場介入するニューディール政策を行い、不均衡動学派が影響力を持つ。

だが、資本主義が安定性を取り戻すと、今度はフリードマン率いる新古典派経済学の反革命が始まり、70年代には主導権を奪い取る。

そして80年代、アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権のもと、経済政策は自由放任主義へと転換し始めた。規制緩和、あらゆるリスクの証券化、全世界を市場で覆い尽くす「グローバル化」が始まったのだ。

岩井氏は、これを「新古典派経済学の基本思想の『壮大な実験』であった」と述べる。結果は2008年のリーマンショックである。資本主義が、効率性と安定性の二律背反を背負うことが実証されてしまったのだ。

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