欲しいのは「お菓子」ではない
「お菓子が欲しい」と幼い我が子が泣き叫ぶ時、その言葉に簡単に応じてしまうことなく、そっと抱きしめ、頭を撫でてあげるのが賢い親というものだ。
精神分析家として、また稀代の思想家、哲学者として名を残すジャック・ラカンの書に出てくるエピソードと記憶する。ことほど左様に、人間の欲望は屈折する。実は愛情を求めているのに、お菓子という対象を代替物とすることで、その欲望を形にしてしまう……、素直には、本当に求めるものを口にできない人間という存在の不思議な性。
子どもにはまだ自己認識がうまくできないから、と思われた方もいるかもしれない。だがはたしてそうだろうか? むしろ幼い子どもなら、まだ泣き叫べるだけマシかもしれず、大人になるほどに実は欲望の表出は難しく、そして屈折は大きく、自らが本当に欲するものに辿り着くのが困難になっていくのだとしたら、実に皮肉な話だ。
実際、形にならない思いを無意識へとしまい込み、ともすれば「より早くより高くより遠くへ」と直線的な競争から降りられない力に苦しむ人々が増えていると言わざるをえない、複雑化した現代社会。そして、本当に欲しかったものは何だったのか? いよいよわからなくなってしまった人々も少なくないのではないだろうか?
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