人間を見ずして経済も歴史も語れない。この当たり前のことを、二人の語りを聞いているとあらためて実感する。社会を見ながら、人間を見る。人間を見ながら、社会を見る。
この一見当たり前に見える「複眼」が今ほど大事な時代はない。そうした極めて人間臭い「肉声」を感じ取りながら、高度な理論や歴史の考察に耳を傾けることで、その分析にも血が通い始め、本質への理解の助けにもなろうというものだ。探究の背後に、人間性を感じることは楽しい。
DXの嵐、「バーチャル経済」の先にあるのは?
さて、理論家と歴史家の背後にある精神の土壌について、少し考えてみたわけだが、コロナショック後の経済は、皮肉なことにそうした「アナログ」な精神の世界を置いてけぼりに、「デジタル」に光明を見いだして疾走し続けているかに見える。
新型コロナウイルスが否応なくもたらした停滞の中、その打開策として叫ばれるオンライン化、そしてDX=デジタル・トランスフォーメーションなる概念はその象徴だ。
業務そのもの、組織、企業文化、企業風土まで、劇的にビジネスモデルを変革する役割をデジタル技術に期待する考え方だが、既に多くの分野に押し寄せていたデジタル化の波と相まって、その意味する本質が深く理解されることなく、急場しのぎの策としてさまざまな解釈を生んでいる感もある。
デジタルは、人と人とのコミュニケーションの流儀も変える。実際、人との接触を最小限にすることが求められる状況にあって「巣ごもり」という言葉が広がる中、ゲーム産業はさらに活気づき、観光、ショッピングを始めさまざまな「体験」がネットの中でシミュレートされ、商品化が目指される。医療、教育……、さまざまな人的なつながりをコンピューターネットワークに代替することで活路を見出そうとしている。
そして、かねてからその推進に「商品」開発、新たなサービスの開発、経済の活性化の期待をかけていた人々は、代替というだけではなく、その先の夢を描く。ある意味、無意識の底にある欲望まで、ビッグデータという形で可視化し、新たなビジネスモデルを生む契機になると言うのだ。
この数十年の間、IT、AI……アメリカ発のテクノロジーが世界を席巻することで資本主義の「成長」は維持されてきた、と時代のストーリーは語るわけだが、はたして現在のデジタル産業化、DXブームはどこへ向かうのか?
そのリアルを、アメリカの起業家、投資家たちの姿に見ようとする企画が今進行中だ。
ネットを介するビジネスのアイデアを売買することに活路を見出す投資家、デジタル化を推進しつつ、それがもたらす落とし穴にも警戒心を隠さない異色のコンサルタントなど、この不透明な状況の中で彼らが展開するビジネスの形を追う。ゲーム業界はもちろんのこと、さながら、ディスプレイの中のバーチャル経済は上げ潮だ。だが、このバーチャルの海の中で私たちが溺れないという保証もない。
光あれば、影もある。ここにも複眼を持ち続ける必要がありそうだ。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら