81. 日本語版のタイトルは渡邉二三郎による1933年の初訳のみ『みごとな新世界』(改造社)だった
82. 以降、1954年の松村達雄・土井治共訳(三笠書房)をはじめすべて『すばらしい新世界』として刊行されている
ドヴォルザークが「新世界より」に込めた思い
83. 交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」はチェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲
84. このクラシックの名曲は4つの楽章からなり、ドヴォルザークが手がけた最後の交響曲である
85. 作曲家としての名声を得たドヴォルザークは1890年、50代を目前にプラハ大学から名誉博士号を授与
86. 翌1891年にはイギリスのケンブリッジ大学から名誉博士号を贈られ、プラハ音楽院の教授として迎えられる
87. しかし同年の春、NYのジャネット・サーバーからナショナル音楽院の院長に就任してほしいと電報が届く
88. 19世紀後半のアメリカでは急速に産業が発達し、オペラハウスも次々と建設されていた
89. だがそこで演奏されるのは欧州のものばかりで、アメリカ独自の音楽を発展させる人材育成が必要だった
90. 就任間もない故郷のプラハ音楽院から、新天地への留学にためらいもあったがジャネットの懇願に決意
91. 2年契約でアメリカ・ナショナル音楽院の院長を勤めることを快諾し、ドヴォルザークは故郷を旅立つ
92. 翌1892年9月に汽船でNYに到着したドヴォルザークはカーネギーホール内にある音楽院の院長に就任
93. 交響曲「新世界より」は、このアメリカ滞在中の1893年1月10日に着手され、5月24日に完成したとされる
94. そして同1893年の12月16日にNYのフィルハーモニック協会管弦楽団によって初演され大成功を収めた
95. 「新世界より」という副題には、〈新世界アメリカから故郷に向けてのメッセージ〉の意味が込められている
96. チェコ時代、鉄道好きで知られたドヴォルザークだがNYでは汽船に夢中になり、毎日波止場へ通ったという
97. 実は交響曲「新世界より」の随所に汽車や汽船を連想させる効果音を聴くことができる
98. 第2楽章の主旋律は1922年に彼の弟子であるW.A.フィッシャーによって編曲・作詞され愛唱歌となった
99. 日本では1930年代『家路』として紹介されたが作詞家・堀内敬三の『遠き山に日は落ちて』で親しまれている
100. しかしそれより以前の1924年頃、宮沢賢治は第2楽章に『種山が原』という独自の歌詞を創作し歌っていた
(文:寺田 薫/モノ・マガジン2020年2月2日号より転載)
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