◇7月22日 準々決勝 大船渡 6-4 久慈 延長11回
先発は大和田、7回を投げ5被安打0与四死球3奪三振4失点。同点のまま8回から和田吟太(3年)が引き継ぎ7回を投げ5被安打0与四死球3奪三振、無失点。大船渡は11回に2点を奪って勝つ。佐々木は登板せず、試合にも出場せずベンチから声援を送っていた。
この試合の後、佐々木を起用しなかった國保監督の決断を評価する記事が書かれた。「高校野球はいい方向に向かっている」とも書かれた。
確かに大会後半になって絶対的なエースを投げさせずに試合を戦ったのは異例のことだった。しかし筆者は「194球」の衝撃を考えると、手放しに称賛することはできなかった。
◇7月24日 準決勝 大船渡 5-0 一関工
先発した佐々木は、9回2被安打3与四死球15奪三振自責点0。球数は129球。球速は157㎞/hを記録。ほぼ完璧な投球だった。実はこの試合の前に右ひじの違和感を訴えていた。「194球」のダメージは確実にあったのだ。しかし國保監督は佐々木に投げさせた。中2日で計323球は、プロも含めて他の野球では見られない異常な数字である。
佐々木は記者団に「(決勝の明日は)勝ちにつながるピッチングをしたい」と言ったが、この登板が佐々木の大船渡高校での最後のマウンドになった。
ケガをする可能性が高かったので出せなかった
◇7月25日 決勝 花巻東 12-2 大船渡
サイドスローの柴田貴広(3年)が登板したが、6回、6被安打4四死球に4つの失策が重なり9失点。前川眞斗(2年)が継投したがさらに3失点。佐々木はマウンドに上がらず、試合にも出場しなかった。
試合後、國保監督は「(佐々木は)投げられる状態ではあったかもしれませんが、故障を防ぐために私が判断しました。未来を先に知ることはできませんが、私としては勝てば甲子園というすばらしい舞台があるのはわかっていたんですけど、プレッシャーの中で投げる今日の試合が、いちばん、壊れる可能性が高いと思って、(投げさせるという)決断はできませんでした」
と話し、佐々木本人も「監督の判断なので仕方ない」と試合後に話した。
確かに決勝での國保監督の判断は「英断」と言えるものだ。あと1つ勝てば甲子園という場面で、勝利よりも佐々木の健康を優先したのだ。高校野球史に残る決断と言えるかもしれない。また佐々木の他に大和田、和田、柴田、前川と4人もの投手をそろえていた。しっかり準備をしていたのだ。
しかし、その國保監督が21日の4回戦では、なぜ佐々木に194球も投げさせたのか。筆者にとってはそれが「謎」として残る。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら