井上さんのケースでいえば、アルファベットを書くという宿題が問題なのではなく、すでにアルファベットができている子たちにも、一律に同じような宿題を課すことに問題があるといえます。
しかしながら、学校で宿題が出され、それも評価の対象となっている以上、宿題の出され方うんぬんを言っても始まりません。何を出し、出さないかは、教育現場に任されており、その領域で議論することはできません。どうすれば前向きに乗り越えられるでしょうか。
どうせやらなければならない宿題であるならば…
宿題が出されると、多くの子どもたちは次のいずれかのパターンをとります。
この2つのパターンがよくあるものですが、実はこの2つ以外に、もう1つ、第3のパターンがあります。
どうせやらなければならない宿題であるならば、「何かを身に付ける作業」にしてしまうという生産的な発想です。一見、意味のない作業に「意味付け」をするのです。
例えば「効率性を高めるトレーニング」と考えるとします。つまり、宿題の内容自体にはあまり意味がなくても、それをこなす効率性向上のためのトレーニングだと割り切るのです。
とはいえ、あまり時間は使いたくないと思う人も多いでしょう。そこで、「隙間時間を活用する」という方法をとります。
多くの子どもたちが、勉強や宿題は椅子に座り、机の上で一定時間「作業」することだと思っています。そのため、まとまった時間が取れなかったり、長時間机に向かって退屈したり、といったことに苦しみます。しかし、勉強する量が多いにもかかわらず、こなしてしまえる子どもたちもいます。彼らは何かが特別というより、時間または量のコントロールをしています。
自分の勉強であれば、重要事項に絞った問題だけやることで量のコントロールはできますが、さすがに学校の宿題は勝手に量を減らすことはできません。そこで「時間のコントロール」という手段を取ります。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら