後に、先駆けて「性同一性障害」の問題を取り上げるなど(2001~2002年の第6シリーズ)、比較的に時代を先取りした見識の下で制作されていた『3年B組金八先生』ですら、このような状態だったわけである。
あれから40年間、ゆっくりと状況は変わり続け、ゲイを題材にしたドラマは今やっと、ほんの少しだけ普及し始めたのだと見るべきではないか、それでも「LGBT層」の人口比率から考えると、「LGBTドラマ」はまだまだ少ないと見るべきではないか、と思うのだ。
セクシャルな表現のあるドラマが一般化して、「メロドラマ」という言葉が死語になった。また、都会的なドラマが一般化して「トレンディドラマ」という言葉が死語になった。だとしたら――。
「ゲイドラマ」「メンズラブドラマ」「LGBTドラマ」など、今回この原稿のためにあえて用いた造語が普及しないまま、でも実体としてのそういうドラマが支持を得て、一般化していくこと。それが必然で自然で、かつ健全な未来という気がするのである。
エンタメ界が描くべき未来とは?
『腐女子、うっかりゲイに告る。』の初回で、主人公の三浦紗枝は言う――「BLって 世界を簡単にしないための方法だと思うの」。
ということは、「世界を簡単にしないドラマ」=世界の複雑さをしっかりと表現したドラマが、もっと簡単に観られる世界へ。それこそがエンタメ界が描くべき健全な未来なのではないか。
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