と、ここまで書いて、書いてきたことを抜本的に覆す考えが浮かぶ――「単に、これまでが少なすぎただけなんじゃないか?」。
これは例えば、NHK『紅白歌合戦』の視聴率がなぜ低下していくのかという問いに対して、「いや、これまでが高すぎただけなんじゃないか?(1963年は何と81.4%)」と、抜本的に問いを捉え直すのに似た思考法である。
1つの参考として、先の電通ダイバーシティ・ラボによる調査では、「LGBT層」に該当する人は8.9%となっている(注)。ざっくり言えば「11人に1人」という割合。案外多いではないかという感想を持つ人が多いだろう。
ということは、乱暴を承知で言えば、少なくとも近い将来においては、テレビドラマにも、それくらいの割合で「LGBT層」の登場人物が出てきてもいいのではないか、それくらいの割合で「LGBTドラマ」が作られてもいいのではないか。
40年前の言い回し
ここで私が思い出すのは、「腐ったミカンの方程式」で有名な、TBS『3年B組金八先生 第2シリーズ』(1980~1981年)における、あるシーンだ(第9回)。
3年B組生徒の椎野一(ひかる一平)が担任の坂本金八(武田鉄矢)に渡す交換ノートに「11月27日 ぼく 加藤くんが 好きだ!」と書く。「加藤くん」とは同じく3年B組の加藤優(直江喜一)のこと。椎野も加藤ももちろん男子。驚いた金八は、同僚の服部先生(上條恒彦)に相談する。そのときの会話。
金八「もう、ホモだなんて言わないでくださいよぉ」
服部(そこから少しのやりとりの後)「ほら、あるじゃないか、あの、つまり、『男が男に惚れる』っていう言葉。ねっ、つまり同性だからこそ、心から傾倒でき、かつまた信頼も生まれるわけですよ」
金八「信頼の問題なんですね。あいつホモなんかじゃないんですね」
結局、椎野一は、純粋な「信頼」だけで、加藤優に「好意」を寄せていたのだが、それはともかく、ここで注目したいのは、「ホモだなんて」「ホモなんか」という、約40年前の台詞回しである。
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