父兄から虐待受けた彼女が「40年後に得た希望」 被害者を縛りつける「記憶」と「その後の人生」

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<けいこさんの今>

4年ほど前に、けいこさんの父が亡くなった。危篤状態の父に会いに行ったのは、「この人が死ぬときに自分はどういう気持ちになるのだろう」という漠然とした好奇心だったという。

いっときは昏睡状態だった父に「三途の川を渡ったの?」と聞くと、彼は笑って「花畑には行った」と答えた。それでけいこさんも、つい笑ってしまった。

父は死の数年前に、けいこさんの主治医との親子面談で、性虐待をいったんは認めた。主治医とのやり取りは、「やったでしょ?」「やっていない」「挿入しましたね?」「少しだけ」という調子だった。

「まるで漫才みたいだったので、それまで怒りで涙を流していたのに笑っちゃいました。そのやり取りを見たのが、回復への転機だったかもしれない。つらくて恥ずかしい過去が、漫才みたいなおかしなやり取りに塗り替えられちゃって、もういいやって……」

そのあともフラッシュバックが強くなるなど、大変なことはあった。父の死後には、それまでとは質の違うフラッシュバックや自罰感情に苦しんだ。でも、そういった症状が出たのは「そういう状態になって大丈夫なところまで回復できたから、そうなった」と考えるようになった。

父と兄に対する複雑な心の動き

救いとなったのが、主治医の存在。そして、2013年に起ち上げた、近親姦虐待の被害当事者たちでつくる自助グループ「SIAb.」だ。

性被害者の自助グループは各地にある。東京の場合、規模は小さいながら複数存在している。複数ある理由のひとつは、被害内容によって、当事者の抱える悩みが違うことだ。

たとえば成人後の見知らぬ相手からの被害と幼い頃からの性虐待では、加害者との距離感が違う。お互いを気遣って率直な発言ができないこともある。

けいこさん自身は、父や兄のことを「好きな面もあった」と思っている。子どもたちを自然の中へ連れ出して遊んでくれたり、旬の食べ物をおいしく食べさせてくれたりしたのは父だった。家族の中で一番、笑いのポイントが合う相手でもあった。

父にも兄にも、いろいろな面があった。それはけいこさんが治療を通して得た気付きだ。だからこそ、「暴力や性虐待の記憶も、彼らと仲の良いときがあったことも、そのまま受け止めたい」と思う。

けれどそれは、決して性虐待を許すことではない。「もし過去に戻れるなら、私に今の生きる力があったら、彼らを刺してでも逃げる」と、けいこさんは言う。

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