「12歳のとき、クラスメイトの男子3人から性的な虐めを受けました。でも私にとって、そんなことは大したことではない、自分で何とかできる問題でした。本当の苦しみはもっと醜いものでした」
けいこさんが治療の一環で書いた手記には、そうつづられている。「もっと醜いもの」とは、実父と実兄からの性虐待。彼女は、さまざまな性虐待を3歳から10代半ばまで受け続けた。
<けいこさんの記憶>
一等地の隠れ家レストラン。けいこさんが夫と2人で開いた店は、雑誌で紹介されるとしたらそんな表現になる。10代の頃に飲食のアルバイトで出会った夫と、いつか店を持つ夢を語り合ってきた。貯金をため、念願のオープンにこぎ着けたのは、30代に入った頃。
彼女を苦しめる「幼少期の記憶」
オープンから数年間はプレッシャーの連続だった。深夜2時に寝て早朝に目が覚める毎日を繰り返しているうちに、客から「顔色が悪い」と指摘されるようになった。
休めば治るかと思ったが、そうでもない。処方された睡眠薬を飲んでも眠れない。そのうちに血尿が出始めて、薬をのむのをやめた。漠然と「治らないかな」と思い始めた頃に、心療内科医が登場するドラマを見て、大量の涙が出た。「いつか、こういう診療を受けたい」と思った。
幼少期からの性虐待。心のどこかでは、その問題に向き合わなければいけないと気づいていたと、けいこさんは言う。
「ずっと考えたくなくて、楽しく生きたい、楽しく生きなきゃ負けと思って生きてきた。夢を叶えるためにがむしゃらに頑張ってもきた。でも夢が叶っても、いつもさみしくてつらくて消えたいという気持ち。この気持ちには終わりがないのかもしれない、走り続けなきゃいけないのかなと思ったらどっと疲れが出て……」
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