父兄から虐待受けた彼女が「40年後に得た希望」 被害者を縛りつける「記憶」と「その後の人生」

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けいこさんが不眠で精神科に通ったのは2004年の秋から。対面式カウンセリングを始めたのは、その2年後から。カウンセリングの初診で、「言いたくないけれど、これを言わないと始まらない」と思った。

最初の記憶は3歳ぐらい。車のボンネットの上で性虐待を受けた。相手が誰なのか、記憶が曖昧だが、おそらくは父。その後、4~5歳頃に兄からの性虐待が始まった。虐待は徐々にエスカレートし、性交を要求されるようになった。

10歳頃、「止めて」と言ったのを機に、兄からの虐待は終わる。しかし次は、父が体を求めてくるようになった。兄がしていたことを父は知らなかったはずだとけいこさんは思っている。けれど父がしたのは兄と同じような行為だった。

虐待時に、恥ずかしさや屈辱で感情が爆発しそうな自分と、それを冷静に見ている自分がいた。膣内に射精され、風呂場でホースを中に入れて水で洗い流すように言われてそうしていたとき、鏡の中で自分と目が合った。

「冷ややかな目が私を見ていたのを、しっかりと覚えている」(けいこさんの手記より)

その後、投薬治療が必要な状態になり、精神科とカウンセリングを並行して受診するようになった。相性の問題から主治医を数回変えるうちに、2007年に出会ったのが、現在の主治医だ。

「どうしてそんな体験をしたのに、あなたはちゃんと、こうやって生きてこれたんだろうね?」

初対面でそう聞かれ、「面白いことを聞く人だな」と思ったという。

被害者は彼女だけじゃなかった

実は、カウンセリングを受けるまで誰にも被害を言わなかったわけではない。中学時代に、生活指導の教師に打ち明けたことがある。教師から報告を受けた母はけいこさんに謝った。

「ごめんなさい。お姉ちゃんもだったの。けいこにだけは手を出さないでと約束したのに……」

年の離れた姉も被害に遭っていたことを、けいこさんはそのとき初めて知った。

姉妹を傷つけた父は地元では人望があり、のちに褒章の候補になったこともある。家には警察官や教師など、「まともな職業の大人」がしょっちゅう出入りしていた。けいこさんたち子どもは彼らにかわいがられていたが、家の中で行われていることに気づいた人はいなかった。

虐待の事実を知った教師も母を呼ぶ以外の対応はせず、これまで通りの生活に。みんなが知り合いのような小さな社会。ことを荒立てるのは良くないという空気があった。

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