父兄から虐待受けた彼女が「40年後に得た希望」 被害者を縛りつける「記憶」と「その後の人生」

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<私から見たけいこさん>

1年ほど前、けいこさんら被害当事者と一緒に、マスコミ関係者が集う会議に登壇した。

この日のテーマは性暴力の報道に関してで、けいこさんはゲストスピーカーとして招かれていた。出席者は、新聞社やテレビ局から50人ほど。前方に座っていたひとりの男性が終始スマホをいじり、あくびを繰り返した。会議の出席者は7~8割が男性だったのに、当事者たちとの名刺交換に来たのは女性記者ばかりだった。

帰りのエレベーターの中で私が「あの人、もう1度あくびしたら怒鳴ってやろうかと思った」と言ったとき、けいこさんがつぶやいた。

「そっか。ああいうので怒っていいんだね」

虐待は、自分の意志が尊重されない環境の中で生きるということ。だから、どんな場面で怒って良いのかわからなくなる。回復の中で知ることのひとつは、「私は怒っていい」と知ること。そうけいこさんから説明を受け、虐待のその後を生きる複雑な心理を改めて知った。

被害者は「かわいそうな人」なのか

けいこさんはその席で最後に、出席者に向けてこんなことも言った。

「私たち被害者のことを、リスペクトしてください。もっと私たちの話を聞いてください」

静かな声の中に、どんな思いが込められていたのだろう。

「私たちは、社会の中で厄介な人物と思われている。ときにヒステリックになったり、自傷行為に走ったり。医者も診てくれないことがあるし、警察や司法の場でも、うまく説明できずに、おかしな人と思われたり。それでも社会で普通に生きようと努力しているし、生き抜いている。できればリスペクトしてほしい。なぜこんな状態なのか、それは、普通の人同士の関係と同じように、時間をかけて聞いてもらえれば理解できることだから」

被害当事者たちは、単に力を奪われた「かわいそうな人」なのだろうか。

今、あくびをした男性を怒っているかと聞くと、けいこさんは「あの人は、ツラい話を受け止めきれなくて、体の反応としてあくびが出ちゃったのかもしれないね」と笑った。

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