言葉ができなきゃ「話にならない」グローバル

もう待ったなしのマルチリンガル化

私は北京在住7年余りの間に、北京大学、清華大学、復旦大学、南京大学をはじめ中国の大学十数校でブランド戦略に関する講演やセミナーを実施してきました。通常90分程度のプレゼンテーションと20~30分のQ&Aという構成でやるのですが、使用言語は英語です。中国の学生たちは英語のプレゼンテーションに十分ついてきますし、質問や受け答えも流暢な英語でこなしてくれます。逆に言うと、私が中国で講演できるのは学生の英語力の高さのおかげです。

また、中国は人口も地勢もEUより大きな国ですから、「中国人だから中国語をしゃべる」という単純なことでもありません。広大な中国では民族やエリア固有の言語が多数存在します。たとえば、上海人が家族や友達とのコミュニケーションに使う上海語は、中国語の方言というよりはまったく違う言語に聞こえます。実際、北京の人が聞いてもほとんど理解できませんから、上海人同士が、会社の中で北京人に聞かれてまずい話は上海語で話す、といった光景が見られます。

ですから、全国標準語として、北京語をベースとした「普通話」が必要なのです。日本の標準語が東京の言葉をベースにしているのと同様です。上海人や広東人は、地元ではローカル言語を、学校やビジネスでは普通話をと使い分けていますから、「中国語圏内バイリンガル」と言っても過言ではないでしょう。

言葉と文化

違う言葉をしゃべるということは、その文化固有の文脈で考え、話し、振る舞うということです。言葉の上手な人は、日本語でしゃべるときは日本人らしく、フランス語でしゃべるときはフランス人風に振る舞うことができます。と言うよりも、自然にそうなってしまうのです。それは、言葉はその土地に住む人々の文化や価値観や生活習慣に根差したもので、そうした文化を共有していないと使いこなせないからです。

たとえば、同じアメリカ英語でも西海岸では気さくでストレートな表現が主流であるのに対し、東へ行くにつれ、イギリス式の丁寧で慎重な言い回しの使用頻度が増えてきます。本場のクイーンズ・イングリッシュを聞くと、まさにイギリスの歴史や文化そのものが感じ取れる気がします。マルチリンガルな人々は、言葉をコミュニケーションの道具としているだけでなく、複数の文化を吸収して体現しているのだと言えます。

「複数の言語を自在にスイッチして使い分ける」という感覚を、一般の日本人は持ち合わせていませんが、これはグローバルに生きるには必須のスキルです。同じ内容を、英語、中国語、日本語でそれぞれ表現することが常態化すると、自分が伝えたいことを論理的に整理したうえで、それぞれの言語が持つ文化のフィルターを通してコミュニケーションすることができるようになります。

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