秀雄さんは希望どおり、ホスピスに入院してからも毎週のように外泊をしに自宅に戻った。「ご家族は、あまり患者扱いせずに役割を与えてあげてくださいね」。そんな緩和ケア医の言葉を受けて、家ではこれまでどおり、一家の主である秀雄さんを囲んでいろいろな話をした。綾子さんの娘の就職活動の話題で会議をしたこともあった。
「もう娘が大騒ぎでね(笑)。最終面接の前日に対策について話し合いをしたんです。父も入ってくれて。『もう最終なんやから、お前が社長を面接するような気持ちで挑んだらええんや』なんてアドバイスをしていました。病気で弱っていても、祖父として社会人の先輩として役割を果たせていることがうれしいようでしたね」(綾子さん)
余命宣告を受けてすでに1年3カ月が過ぎていた。
葬式の話も家族会議で決めた
もう余命いくばくもない、と誰もが感じていた頃、秀雄さんは家族を呼んで尋ねた。
「葬式はどうするんや?」
すでに心づもりをしていた満江さんはきっぱりと答えた。
「マンションの集会所を借りてこじんまりとした家族葬にするつもり。パパが好きだった住職さんも呼んで、小さいけれど格式高い式にしますよ。私はきちんと着物の喪服を着ますからね」
それを聞いて、秀雄さんはうれしそうにほほんだ。秀雄さんは、すでにそれまでの会議で、永代供養をする寺を決めており、「お寺は京都やから、納骨の帰りは泊まって遊んできたらええがな」などの思いまで伝えていた。
「最期のときも、『ママはもう大丈夫やな』って。私の娘のことも『あの子やったらどこに就職しても大丈夫や』。最後に『心配なんは、おまえや』と離婚していた私のことを言うので笑ってしまいました(笑)。本当に最期まで後に残される家族のことを考えて、大切な話を全部してくれたから、ありがたいことに、私たちにはなんの心残りも後悔もないんですよ」(綾子さん)
人生の終わりに行う家族会議はもちろん簡単ではない。死に向かう恐怖の中で悲しい話題を持ち出すことはつらいことだし、1回の会議で全員が納得できる「死に方」を知ることはできないだろう。だが、当事者に語りたいことがあったとき、そのタイミングはきっと訪れる。
家族ができることは、そのときを逃さないよう、そばにいて、どんな話でも聞こうと心の準備をすること。そして、もっと前から家族がフラットに話し合える家族関係を作り続けることだ。時折涙を見せながらも笑顔で秀雄さんの言葉を聞かせてくれるお2人から、命が途切れるまで、家族が本音で話し合えることがどれだけ大切かという例を、見せてもらえた。
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