手術をすれば治るはずなのに。そう思っていた矢先、精密検査ですでに肝臓にもがん細胞が散らばっていることが判明。ステージ4、余命3カ月と宣告された。
「父は弟を若くしてがんで亡くしていましたし、がんの怖さは知っていたのでしょう。だから、最初のときにすぐに『ホスピス』と母に伝えたのでしょうね。結果としてよかったです。余命宣告された後はとてもじゃないけれどそんな話をすぐにできる気持ちにはなれませんでしたから」(綾子さん)
「2人ですぐ『ここだね』って」
手術はできず、抗がん剤治療に望みをかけて治療を開始した秀雄さんを支えながら、2人は少しずつ近くにホスピス外来がある病院を探し始めた。
「引っ越したばかりで土地勘も情報もあまりないなか、知人に評判を聞いたり、インターネットを見たりして、片っ端から父に合うホスピスはないかと探しました」(綾子さん)
「夫には黙っていくつか見学にも行きましたね。街中の病院は看病をしやすそうだったけれど、窓からは隣のビルしか見えない。これはきっと嫌がるだろうなと思って。何件目かで、少し遠いけれど山の高台にある病院を訪れると、見晴らしがすごくよかったんです。2人ですぐ『ここだね』って」(満江さん)
生きようと抗がん剤治療を始めていた秀雄さんには告げず、母娘は水面下で準備を整えた。いつかそのときがきたら、伝えようと心に決めて。
一人娘がすでに成人し、自らは離婚をしていた綾子さんは、秀雄さんとの最期の時間を一緒に過ごそうと、実家に戻ることを決める。久しぶりの3人暮らしは、とても濃密なものだった。
「母と父は昔から会話が多い夫婦でした。でもやはり深刻な病気のことを2人で向き合ってするのは酷なことです。私がクッション材として入ることで、いろいろな話が和やかにできたのかもしれません」と綾子さん。
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