※ 対談その1:日本の知識人は、なぜ「日本回帰」するのか
対談その2:論争がシカトで終わる、情けない日本の論壇
山折:私は何度となくインドに行きましたが、最初にインドに行ったときにびっくりしたのは、においです。それまで視覚と聴覚で作り上げていたインドのイメージが、一挙にガタガタに崩れました。日本でインド哲学を学ぶ場合、テキストばかりを読んでいるので、その視覚を通した知識としてのインドのイメージばかりが出来上がる。そして現地を訪れて、嗅覚の世界に初めて直面したわけです。
そのインド体験が、ずっと尾を引いています。視覚を通して蓄積された教養、知識というものがいかに危ういか、脆弱なものか、思い知らされたわけです。インドが過酷な社会的環境の世界だったから、という理由もありますが、本質的にはヨーロッパだって同じだと思います。その社会が持っている歴史的なにおいというのはありますから。
ですから、視覚や聴覚によって得た知識を、嗅覚や触覚といった、もっと生命的な、生物的な感覚によって見直すということを繰り返さないと、単なる観念的な知識をもって満足する人間になってしまう。近代的な日本の知識人の持つ教養の頼りなさというのは、きっとその辺に関係していますよ。旧制高校の教養がしばしば問題視されるのも、結局、視覚や聴覚のレベルで終わった知識だったからでしょう。
竹内:かつて私は、イギリスのパブリックスクールについて調べたことがあります。最初は、現地の写真は見ているけれども、実物は見ていないという状況です。すると、どんどん美化するんですね。しかし、実際にイギリスに行って、現実に寮を見たり、写真には載っていない鞭打ちの部屋を見たりすると、印象が変わりました。
活字だけでヨーロッパを学んだ人は、非常に美化する傾向があります。丸山真男さんも、実際に欧米に行ったのは晩年ですよね。そうすると、頭でヨーロッパ像を作り上げて美化してしまうのではないですか。
山折:そうですよね。美化と完全化。
竹内:そういう意味では、戦後の大衆レベルでも、海外旅行というのは、ずいぶん日本人の海外に対する気持ちを変えました。ものすごく大きい体験知だと思います。海外に対するコンプレックスもあまりなくなりましたよね。
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