リスクと犠牲を教えない、日本のエリート教育 山折哲雄×竹内洋(その3)

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リーダーが悪いのか、フォロワーが悪いのか

山折:結局、ノブレスオブリージュは日本で定着しませんでしたね。戦後教育はエリート教育、リーダー教育という言葉に対するアレルギーのようなものがすごく効いています。先生たちも、50人の子供がいたら、そのうち5人なり10人なりをリーダーに育てようという意識がないでしょう。あくまで、リーダーは自然に生まれるという考え方です。企業はどうでしょうか。積極的にリーダーを育てているのでしょうか?

竹内:私が昔、調べたところでは、仲間の評価は影響するみたいですよ。上ばかり見て、せこい人間は同僚にはよくわかり、評価されません。やっぱり自分の身を切り、自己犠牲の精神があって、リーダーシップのある人は、仲間の評価が高いですよ。日本企業では、もちろん上司からの評価も大きいでしょうが、同僚からの評価もかなり大きいのではないでしょうか。

山折:だから企業でも政治でも、そういう犠牲的精神の中で鍛えられた人間が出ているときは、大きな仕事を成し遂げているということですね。

竹内:そうですね。

山折:今、日本の教育と政治の世界には、自己犠牲という考え方がとても稀薄になっています。戦前の滅私奉公と言う考え方とすぐ結びつけてしまう。

竹内:ただし、どちらが悪いのかわかりませんが、もうリーダーをリーダーと思わないようなところがありますよね。リーダーが悪いのか、それとも、フォロワーが悪いのか。

山折:数学者に聞いたのですが、大学の数学科に入ると、1日目で、「こいつはすごい」「俺はもうダメだ」というのがわかるのだそうです。始めからダメだとわかった人は、学者になる代わりに高校の教師などの他の職業につくようになる。これは芸術の世界もそうですよね。

竹内:それは賢い人ではないですか。わかる人はすごいと思います。意外とそれさえもわからない人もいますから。

山折:それがわからない文科省の役人が、全員に同じような高等教育を施そうと考えたのでしょうね。

竹内:そうそう。

山折:芸術や数学といった特殊な知的教養を身に付ける世界では、才能がはっきり分かれます。天才は放っておいてもいいわけです。それよりも、トップに行けない人々をどう教育するか、どういう知的な教養を与えるかのほうが、よほど重要になってくる。それなのに日本は、みなに等しい教育を与えようとしてきた。

竹内:そうですよね。今の大学改革の問題はまさにそれです。大学進学率が50%を超えて、大学のレベルに大きな差があるのに、いつまでも一律にやりすぎている。一部の上澄みの大学では、アホな大学教師が指導するくらいなら、むしろ放っておいたほうが学生は伸びます。

山折:その場合、トップクラスの人間には、教科書的な知識を与えなくてもいいので、特別プログラムを組めばいい。一方、そうでない人たちに対しては、知や教養を身につけるような体験を与えるプログラムが別に必要になる。でも、われわれはまだそれを作り出していません。

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