※ 対談その1:日本の知識人は、なぜ「日本回帰」するのか
「左」の力はなくなったのか?
山折:竹内さんは、読売・吉野作造賞を受賞した『革新幻想の戦後史』の中で、戦後の左翼的雰囲気と、進歩的知識人について描いています。雑誌に連載している段階から、批判もあったと思うのですが、実際はいかがでしたか?
竹内:最初は、左のほうから批判がたくさん来ると思っていましたが、以外となかったですね。ただ、酒の席で悪口を言われていることは、何となくわかりました。特に東大教育学部の流れの人たちが、苦々しく思っていると聞いたことがあります。
今の時代に、もう左の力はなくなったと言えなくもないですが、ある意味、かえってうっすらとした、革新の感情はあるような気がします。
山折:左の反発が弱かった背景には、時代の変化もあるのでしょうが、やはり先生の論文に説得力があったということでしょうね。
竹内:というより、日本の知識人の場合は、反論せずに無視するわけですよ。吉本隆明のアカデミズム批判に対する反応と同じです。戦わないというか、シカトしてしまうわけです。
山折:その傾向は非常に強いと思います。ただ、敗戦直後には、福田恆存の平和論など、そうとうの論争をやっています。人間の思想と教養を考える場合に、論争がそこまで衰弱して、シカトで終わっているとしたら、ちょっと心配です。
竹内:かつては論争もありましたが、今は、同じ雑誌の中での論争はほとんどないのではないでしょうか。
先ほど話に出た福田恆存が、1954年に『中央公論』で「平和論の進め方についての疑問」を書いたときは、その反論が翌月ぐらいに出て、さらに福田が反論を書きました。
そのときの『中央公論』の部数を見ると、福田が書いたり反論したりするときも多少は部数が上がっていますが、むしろ福田を批判する論文が載ったときのほうが売れているんですよ。だから昭和30年代というのは、そういう時代だったのですね。
山折:それは面白いですね。面白いというか、それだけ福田の進歩派批判の論文を掲載するのは、勇気が必要なことだったのでしょう。
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