リスクと犠牲を教えない、日本のエリート教育

山折哲雄×竹内洋(その3)

竹内:何というか、日本型ポリティカルコレクトネス(政治的公正)みたいなものが充満しています。

山折:そうそう。

竹内洋(たけうち・よう)
1942年新潟県生まれ。京都大学教育学 部卒業。同大学院教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学。京都大学大学院教育学研究科教授などを経て、関西大学人間健康学部教授、京都大学名誉教授。 専攻は歴史社会学、教育社会学。著書に『教養主義の没落』『革新幻想の戦後史』などがある

竹内:凶悪事件が起きると、必ずコメントで「なんでこの犯人が犯罪行為に至ったか」を解説しますよね。そういうふうに、何でもかんでもわかろうとする態度も、リスクをゼロにする発想と似ています。

山折:そうですね。かなりの程度まで人間は理解可能だという、社会科学的な考え方です。

竹内:何でもかんでもわかろうとするのは、おそれ多いことですよ。これこそヒューブリスというか、人間の驕慢が極まっているのではないかと思いますけど。

山折:そうですね。先ほどのリスクの問題で言いますと、私は今、京都の堀川高校の学校運営委員をしています。

ちょうど今、文科省が日本全国の高校をスーパーサイエンスハイスクールに指定していて、堀川高校もそのひとつです。その一環で、堀川高校は、いろんな科学教育をやっています。その際に、国際標準という基準があって、それに近づくために目標を立てるわけです。

その国際標準と日本的な標準には、ものすごく落差があることに気付きました。たとえば、ボランティアという言葉ひとつとっても、意味が違います。国際標準では、わが身を削って、時間も削り、おカネも出し、場合によっては家族を犠牲にして、何らかの奉仕をすることがボランティアということの意味です。だから、リーダー教育、エリート教育というのは、いかに自己を犠牲にするかということが基本になって、それがボランティアリズムが基本となります。

ところがどうも日本のボランティアは、永続的にやるという考え方ではなくて、できるだけ自分を守って、自分の領域を守って、その余力でサービスをするという傾向が強い。ライオンズクラブもロータリークラブも全部そうですが、社会奉仕と言いながら、結局は余力でやっている。自己をいかに犠牲にするかという観点が非常に弱い。

つまり、自己を犠牲にしないとリーダーになれない、という教育がなかなか出てこないわけです。これは戦後教育の問題点ですね。結局、ボランティアの問題というのは、リーダー教育と非常に深いかかわりがあります。リスクと犠牲を前提にするという考え方、すなわち、教養や知力の基本が出来上がっていないということです。

竹内:そういう犠牲心のある人が、やっぱりリーダーに祭り上げられていくのでしょうね。例えがあまりよくないですが、暴力団の世界でも、死ぬぐらいの強い覚悟があるということが説得力になるでしょうし。その意味で、ノブレスオブリージュが、日本にはあまりないのでしょうか。

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