結局は、リズムの問題
竹内:以前であれば、長期的に教育を考えることもできました。「何のために古典を読むか」を説明しなくても、長期的に考えたら大切だという理解がありました。でも今は、短期的にしか考えられない層が、大学生になってしまった。そうすると、役に立つ教育が求められるので、従来型の教養と言ってもダメだと思いますね。
今は学力の低い大学もたくさんあります。私もたまにそういう大学の先生と話しますが、「そもそも基礎学力がないので、教養とか学問とか言っている場合ではない」と言うわけです。大学の教育というのは、高校までの知識がきちんとしていたら、かなり高度なことができます。だから、もっと高校や中学校の教育がしっかりしないと、大学教育もやっていけないのでしょう。
山折:本当にそうですよね。たとえば、ある一定の年齢に達して遍路、巡礼をする人々を見ていると、老いも若きも、知識のある人もない人も、大学教育を受けた人も受けない人も、みんな般若心経を唱えています。
皆、全部の意味がわかっているわけではないですが、たとえば「色即是空」というのは、かなりの人々が覚えているわけです。その基礎になっているのが暗記です。昔だったら、論語を暗記していましたが、暗記というのは、知的作業を超えた重要性がある。しかし、そういう教育技術を、小中高の教師を養成する今の大学は、教えていません。
竹内:確かに、私より少し上の世代の人は、よく暗記しています。何かのタイミングで、歌や小説の名文句が出てくる。あれは、声に出して読んでいたからですよね。日本はあるときから音読をしなくなりましたが、音読は本当に身に付く勉強の仕方だと思います。
山折:結局、リズムの問題です。万葉以来の五・七・五・七・七調の話になるわけです。西洋の知識人がギリシャ語の詩などから入るのと似ています。ただそうした伝統が、戦後日本の知的な教育から切り離されたと思うのです。
竹内:そうですね。そもそも活字文化の時代は、グーテンベルク以降でしょう。それこそ古代ギリシャでは、つねにしゃべっていたわけですから。大衆の教養というと、私の小さい頃は、講談や浪花節や落語でした。ああいうのも非常にいいのではないかと思います。
山折:だいたい僕らの基本的な歴史的知識というのは、かなりの程度講談本などから得ていました。けれどもその方式は戦後になって否定されてしまいました。講談調というのは語りのリズムがあって暗記しやすい。それで自然と覚えてしまう。明治以降の学校唱歌、童謡に歴史的な事実が歌い込まれていますが、これもあまり顧みられなくなっている気がします。
竹内:私の親父も小学校の教科書は覚えていました。だからしょっちゅう読まされたのだと思いますよ。
山折:そうです、そうです。
竹内:教育勅語なんか、本当に全部覚えているわけですよね。
山折:結局、日本の文学というのは、長いあいだ語りの文学でしたね。聴覚を働かせて覚えて、自分の知識になり、それが理解につながっていくという構図になっていたわけです。
(構成:佐々木紀彦、撮影:ヒラオカスタジオ)
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