まずは「古池や」の「古池」を別の言葉に変えて別の句を作ってみましょう。ヒントとして同じく芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を取り上げます。この句をまねて「閑さや蛙飛びこむ水のをと」とするとどうでしょう。シーンとした池の水面にポチャンと一匹、蛙が飛びこんだという趣です。
(解答問答)
夏井:「○○○○や」の「○○○○」に言葉を入れてみましょうっていう一種の言葉遊びですよね。
岸本:そうです。
夏井:でも、芭蕉様の名句をそんな扱いをしてもよいのかと恐れ入る人もいると思う。「本当にいいんですか。こんな言葉遊びを楽しんでも罰は当たらないんでしょうか」と。でもね、俳句ってもともと一種の言葉遊び。チーム裾野よ、「みんなで遊ぼうぜ!」ですよね。
心に残ったことや驚きに「や」をつけてみる
岸本:芭蕉の句のどこがどう素晴らしいかを説明しようとすると難しいけれど、「古池や」の「や」がこの句のキモであることは間違いない。「古池や蛙飛びこむ水のをと」と、「古池に蛙飛びこむ水のをと」の違いは絶大です。
ポチャンをきっかけに幻の「古池」が心の中に立ち現れてくる。そう鑑賞すると、決して平坦なだけの句ではないことがわかります。このような読みは、「○○○○や」が「や」で切れる、そこに断絶があることを強く意識したものです。
夏井:「○○○○や」を埋めていく遊びのなかで、上五の「や」で断絶する感覚を体感するわけですね。
岸本:「空腹や」「恋人や」のように、まず驚いたことや心に残ったことに「や」をつけていくと、面白い上五が見つかるかもしれません。
失恋や蛙飛びこむ水のをと
お題 「○○○○○旅に下痢する弱法師」
岸本:「弱法師」は、弱々しい足どりで歩くお坊さんという意味です。旅先の水が合わなくて腹を下したお坊さんですね。昔は旅先での腹下しは命取りになったかもしれません。
現代にひきつけるなら、不慣れな海外出張を命じられたひ弱な男がどこかの途上国で体を壊して心細い思いをしている、というイメージも可能でしょう。弱々しく、もの悲しい人物像をどのように演出するかが上五の考えどころです。