40歳で花開いた「物書き」の譲れない使命感

社会を動かす良質なジャーナリズムに徹する

もう1つ強く感じたことがある。相手の国のことを知るには、自分の国のことも知らなければならないということだ。

自国の理解が浅いと、いくら流暢にしゃべれても「薄っぺらいヤツ」と思われてしまう。誰にも尊敬されない。その実感が、高校時代に意地でも読書感想文を提出しなかったほど本嫌いだった宮下さんを変えた。毎年夏休みに帰国すると、連日図書館に通って民俗学や比較文化論、言語学の本などを片っ端から読みあさるようになる。

そうして自国への理解を深めつつ、2年次にはアメリカの大学の学生としてスペインの大学に留学して拠点を移したりもした。「アメリカに行って、いつかは世界中の人たちといろいろな言語で話せたら」という子どもの頃からの希望があったし、荒れた校風で、毎夜の喧嘩とバカ騒ぎが寮で繰り広げられていたことに辟易した部分もあった。スペイン語は自分でも驚くほどの早さでしゃべれるようになり、留学して3カ月後には周囲とのコミュニケーションがスムーズにできたという。ここから数年の間にフランス語やポルトガル語、カタラン語も身に付けている。

スペインでの生活は楽しく、1年の予定だった留学期間を2年に延長したほど。その後、大学を卒業するために1年間アメリカに復帰したが、バルセロナ大学大学院に入学するためにすぐ戻ってきた。そこで国際論を修士論文のテーマとし、後に同大学院のコロンビア・ジャーナリズム・スクールでも修士号を取得している。

多くの人や国を見てきた経験を活かせる仕事に就きたい

ジャーナリストという職業に興味を持ったのは、1つ目の大学院の課程を終えた後のことだった。

「スペインに最初の留学をした頃までは、漠然と外資系企業で言語のスキルを生かせればいいなあという感じでしたが、いろいろな経験をしているうちに国連みたいな国際機関で働きたいという気持ちが強くなりました。けれど、よくよく考えると自分は組織で働けるタイプじゃないと思えてきて」

たくさんの人や国を見てきて得たものを人に伝えたい。それを生かす仕事はなにかと考えたときにジャーナリズムに思い至った。ジャーナリズムスクールの講義はとてもしっくりきて、「これだな」と思えた。

大学院を卒業したのは2001年。最初はスペインで記者経験を積むべく、全国紙エル・ペリオディコでインターンシップを始めたが、すぐに厳しい現実に突き当たる。

「ネイティブ以上にその言語に長けていないと新聞社は社員として雇わない。甘い世界じゃないと痛感しました。フリーとして週刊誌に書かせてもらってきたのですが、やはり原稿料がすごく安くてそれだけで食べていくのは無理な土壌でした」

ならば、海外に住む日本人ジャーナリストとして日本の出版業界を相手取るしかない。当時から知っている寄稿先が1つあった。地元長野県の地方紙・信濃毎日新聞の国際面にあるコラム欄「国際通信 信州へ」だ。縁のある海外在住者なら掲載してもらえることを知っていた。寄稿したところ、狙い通りに掲載。1000文字で2万円は悪くない金額だった。ただ、同一人物の記事は3~4カ月に1回しか載らないルールだ。担当者からは「これだけ書いていても食えないから、いろいろ探した方がいいよ」とアドバイスを受けた。

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