40歳で花開いた「物書き」の譲れない使命感 社会を動かす良質なジャーナリズムに徹する

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しかし、2つの幸せを両立するのは至難の業だった。男女平等の意識が進んでいるフランスでは夫婦の役割は性別に依らず、稼げるほうが稼ぎ、もう1人が家庭を守るというスタンスが多い。仕事柄収入を安定させにくい宮下さんが家事育児を担当するのは自然な流れだったが、大学で7年学んだジャーナリストとしては翼がもがれたも同然といえた。

何かが起きている現地に行って取材できないということは、仕事ができないと同義だ。自ら企画を持ち込まなくても数々の仕事が舞い込んでくる状態だったが、すべて断るしかなかった。もともと中途半端が嫌いな性格。電話取材や文献集めだけで済ませることはしたくない。収入は右肩上がりどころか断崖絶壁に落ちていった。

ジャーナリストとして再出発するも出版不況に

そうして家庭を守ること3年強。「これもフリーの運命なのかな」という思いも持ちつつ、ジャーナリストとしての自分の可能性をあきらめることもできない。苦悩した結果、最終的に家庭との離別を決意する。2010年。34歳になっていた。

独り身となって再びガンガン仕事をしようと動き出した宮下さんだったが、業界の異変に気づくことになる。出版不況だ。20代の頃に書かせてもらっていた雑誌は休刊が相次ぎ、宮下洋一の名前で書ける場や、十分な取材費を出してくれる場は驚くほど小さくなっていた。入れ替わるようにWEB媒体が台頭した時期でもあったが、1記事にかける予算は紙媒体よりも圧倒的に低い相場。時に数カ月かけて取材した記事を受け止める体制はまだできていないように映った。

とはいえ、背に腹は替えられない。フランス南部やスペインのカタルーニャ地方を拠点としたまま、特集記事の取材やデータ原稿の執筆など、名前の出ない仕事も受けて糊口をしのぐ生活を続けることになる。名前の出ない仕事は評価が周囲に広まらず、次の仕事につながりにくい。

日本の出版業界が元のように元気になるのは望むべくもなく、まして欧州ではフリーライターとして生計を立てられないのは若い頃と同じまま。打つ手がないまま、どうにか生き延びていく。起業した両親の考える「成功」と、宮下さんの考える「成功」に大きなギャップもあり、ジレンマが募るばかり。そんな日々が続いた。

暗澹とした心に灯がともったのは2013年のことだ。バルセロナのラーメン店のレジ前に「卵子提供しませんか? 日本語専用フリーダイヤル900……」と書かれたポスターを見かけたのがきっかけだった。

「スペインは生殖ビジネスがはやっていて、その動向を取材したことがありました。けれど、日本人に向けたポスターがこんなところにもあるというのが意外で、これは自分で本腰を入れて書いてみたいなと思ったんですよね」

次ページ頭のなかでピンとくるものがあった
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