クセが強い!北朝鮮「テレビCM」不思議な世界 製造工程の紹介がマニアックすぎる
北朝鮮の広告は労働者階級にフォーカスした共産主義メディアの慣例にならって制作されている。したがって、宣伝で強調されるのも商品の製造工程であって、商品を買って楽しむ場面ではない。
こうした理由から、フィパラムのコマーシャルにも、ミニスカートをはき、胸の谷間を強調したセクシーな美女は出てこない。車を紹介するのは、ダサい制服に身を包んだまじめな工場長だ。北朝鮮製ピアノのコマーシャルでも、優雅なピアニストの姿ではなく、ピアノを製造する工員たちのありふれた作業風景がビジュアルイメージとして使われている。
都合よく消される外国の影
北朝鮮のコマーシャルは、商品の魅力を消費者に伝えるのではなく、製造工程を細かく紹介することで視聴者を楽しませようとしているのだ。
あるミネラルウォーターの宣伝では、水をボトル詰めする工程があまりにもマニアックに紹介されているため、「ユーチューブ」で動画を目にした外国人からは戸惑いのコメントがついた。「ボトル詰めのラインを見せて、いったい何をしようとしているんだろう。これって、そもそも何の宣伝なの?」。
愛国的なメッセージは、今も北朝鮮コマーシャルの中心にある。
たとえば、フィパラムは現実にはフィアットの「シエナ」に少し手を加えただけのモデルにすぎないが、「先軍政治」による北朝鮮の産業的成功と絶賛されている。北朝鮮製ピアノ「PACO(パコ)」の広告では、このピアノは「人民の努力と技術」によって生み出されたことになっているが、ここではある事実が都合よく無視されている。そもそもパコは日本企業の技術指導の下、日本製の部品を使って製造されたピアノだ。
北朝鮮コマーシャルのビジュアルは、それほどクリエーティブなものではない。北朝鮮映画と同様、展開は遅く、音楽には愛国的唱歌が用いられることが多い。海外の人間からしたら、からかいたくなるような作りだ。
しかし、市場経済にまだ慣れていない北朝鮮の消費者は、このような宣伝を外国人とは違った感覚で眺めている可能性がある。単純なイメージや慣れ親しんだ道徳的メッセージのほうが北朝鮮の人々にとっては共感度が高く、新たな経済秩序に国民をいざなう効果だって大きいかもしれないのだ。
(文:タチアナ・ガブロセンコ)
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