プロパガンダは、娯楽の顔をしてやって来る 豊富な事例で「宣伝戦」の実態を暴く
タイトルに違和感を持つ人は多いかもしれない。政治宣伝を意味する「プロパガンダ」と聞けば、権力者を讃える映像や音楽を嫌々に観たり聞いたりする印象が強い。そして、その映像は退屈きわまりなく、楽しいわけがないからだ。
本書『たのしいプロパガンダ』を読めばその考えは一変する。ナチスはもちろん、欧米や東アジア、そして日本でかつて展開されたプロパガンダの実例が豊富に並ぶが、「プロパガンダの多くは楽しさを目指してきた」と著者は語る。銃を突きつけるよりも、エンタメ作品の中に政治的メッセージを紛れ込ませ、知らず知らずのうちに特定の方向へ誘導することこそ効果的だろうと指摘されれば、確かにその通りだ。
プロパガンダの達人、金正日
中でも、「プロパガンダの達人」として紹介されるのが、北朝鮮の故・金正日。北朝鮮と言えば、将軍様を讃える映画や個人崇拝の歌の数々が頭に浮かぶ。「どこが達人なんだ!」と叫びたくもなるだろうが、金正日の発言からは意外にも硬軟交えて人民を操縦しようというプロパガンダ術が読み取れるという。一糸乱れぬ軍事パレードや無駄に勇ましい女性キャスターからは理解できない世界が北朝鮮にも広がっているのだ。
1980年代初頭には高麗王朝時代の悪政を敷く朝廷に対し、怪獣プルガサリが大暴れする怪獣映画『プルサガリ』を作ったり、シンセサイザーや電子オルガンで編成された楽団を編成したり。政治と直接関係のない怪獣映画や、最新式の電子音楽機器を取り入れ、軍国主義的な精神や歌詞を国民に浸透させようとしている。 とはいえ、作られた歌はメロディーや歌い方は柔らかいものの、歌詞はプロパガンダ臭を全く隠そうとしていない。
ソ連崩壊を受けての「社会主義を守ろう」(1991年)、個人崇拝丸出しの「あなたがいなければ私もいない」(1993年)。われわれが「プロパガンダ」として、連想するような中身が多い。数は少ないものの、金正日の「政治用語を羅列した歌詞は役に立たない」という思想を具現化した作品もある。「将軍様、縮地法を使う」(1996年)は金正日が縮地法(ワープ)を使って神出鬼没にどこにでもあらわれるという内容。どこまで戦略的なのかはわからないが、ここまで突き進むと、聴き入ってしまうかも。
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