M&Aと聞いて何を思い浮かべるだろうか。ある人はウォール・ストリートの金融街を、またある人はファンドや巨大企業による買収劇を想起するかもしれない。今では毎日のようにM&Aという言葉をニュースで耳にするようになったが、実は戦前日本でもM&Aは盛んだった。
戦前日本の財閥は、すでに株式取得済みの会社にとって取引相手となる会社にM&Aを仕掛けていた。それはB2B(business to business)を財閥の内部に組み入れることが主眼にあった。
三井財閥はM&A戦略で成長した
ここで1つ、例え話をしてみよう。皆さんが投資ファンドのマネジャーだとしたら、どのようなM&A戦略を念頭におくだろうか。たとえば、さまざまな産業分野にわたって数々の会社をターゲットにしようとするだろうか。それとも、買収済みの会社と同じ、もしくは近い分野の会社にターゲットを絞り込むだろうか。
分散投資によるリスク軽減を意図するのであれば、次々と新規分野の会社をターゲットにすることは、それなりに説得力のある判断といえるだろう。ポートフォリオの分散化は、突き詰めればインデックス運用の発想に行き着く。もちろん、あらゆる産業に着手したいという夢、あるいは野望が動機となることも考えられる。
買収済みの会社と同じか、もしくは近い産業分野の会社をターゲットにすることにも正当性はある。近年では、同じ業種の会社を買収することで市場のシェア拡大とともにバリューアップを図るというロールアップ戦略が注目されている。そして、戦前日本の財閥がとったM&A戦略は、まさにその典型だったのだ。
戦前に名を馳せた三井・三菱・住友・安田の四大財閥は、大正・昭和戦前期にかけて積極的なM&Aを通じてビジネス規模を拡大した。財閥は戦後、GHQによって解体されたものの、その名は今でも名門企業の一部に残っている。ここでは、就職人気ランキングの上位によく登場する三井物産などにもそのグループ名が残る、三井財閥に絞って解説したい。
「財閥」とは、明治時代のジャーナリストが著名な事業家を指して用いた言葉であった。学閥、藩閥など、ジャーナリストがいわば揶揄するために「閥」という文字が使われていた。恨まれるほどに、財閥は次々と買収を重ねてビジネスを拡大した。三井財閥はその代表格だった。
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