岩手17歳バレー部員は「遺書」に何を書いたか 遺族と調書も明かす「行き過ぎた指導」の実態
振り返ってみても、自宅での様子はいつもとなんら変わらなかった。亡くなる2日前、7月1日には天皇杯県予選決勝を実業団と戦っていた。敗れたものの、「(実業団に)初めて1セット取れたね」と母親が言葉をかけるとうれしそうな表情を浮かべていたという。しかし、それが息子の最後の試合になった。
5日後、7月8日には遺書が見つかった。「勉強机の引き出しのいちばん下に、隠すようにしまわれていました。日付はないので、いつ書いたのはわかりませんが」
そう話す父親は、遺書を読んだ瞬間「原因は顧問の指導ではないかと思った」と言う。
遺書は「こんなことをしてしまって本当にごめんなさい。許して下さい」から始まる。
「何度も相談に乗ってもらおうと思いましたが、きっとバレーはやめられないと思うので、(中略)きっとバレーをやっていなければ何も自分にはなかったと思いますが、それでも生きているのがとてもつらかったです」
「先生からも怒られ、バレーボールも生きることも嫌になりました。ミスをしたらいちばん怒られ、必要ない、使えないと言われました」
人格を全面否定する言葉の暴力
父親は「バレーがこんなに嫌いになっていたなんて気づかなかった」と愕然としたという。
母親は「勝てば楽しいけど、ミスしたり、何かができないとつらいとは話していた。生き生きしているときもあったのに……高校になって怒られるようになってバレーが嫌いになったと書かれていた」と肩を落とす。
「やさしい子でした。必要ない、使えないという言葉がいちばん堪えたと思う」と母親は言う。父親は「自分の人格を全面否定する言葉によって、息子は追い詰められていったのではないか。言葉の暴力です。顧問はまだ41歳。このままではまた同じ事件が起きる気がします」と顔を歪めた。
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