私が30代のころ、伊丹空港で偶然彼と再会しましたが、タイ人の妻とその間にできた子どもさんと、タイで会社員として暮らしていました。吹っ切れたような明るい彼の表情に、とてもうれしかったのを覚えています。同時に一人息子の彼が、年老いた母親をひとり残し、祖国を追われるように日本をあとにする決断を下した心中は、私が成長するにつれ察することが多く、胸が痛む記憶の人です。
『破戒』でも丑松の親友は、丑松が「そんな人種」でないと信じて擁護し続けるその言葉が、丑松が「破戒」すれば、この親友は丑松から離れていくだろうと思わせる無意識の偏見ありありの人でした。
ところが丑松が土下座して同僚や校長に出自を告白しひざまずく姿を見るや、「解った、解った、君の心地はよく解った」と言って丑松を助け起こし、最後まで親友です。私と敏彦さんのように、一人の信ずることができる人の存在は、理屈抜きに偏見を払拭してくれる力を持っています。
あなたにとって、彼がその一人ですね。
尊敬する小説家や政治家・芸術家などには、私が間接的に知る、先祖が丑松と同じ階級とされた人が大勢いらっしゃいますが、中には希望を抱くことすらできず、挫折したり絶望して横道にそれた人も、たくさん見てきました。それで私はどのような生き方も、「逃げた」と非難できる人は誰もいないと考えています。
「怖い」と逃げている場合ではない!
何百年と続いたこの陰湿な問題を、「正攻法」の教育事業や運動だけで解決しようとするには、人の一生は短すぎます。敏彦さんのような生き方を、「逃げた」と非難する人がいるようですが、私はそうは思いません。
丑松は(罪もないのに)「許してください」と、同僚たちの前にひざまずきました。多くの丑松の苦悩と重なり私は胸が痛みましたが、彼は今、それに近い心境でしょうか。または実家の住宅を見て動揺し始めたあなたをみて、彼も、ベストパートナーとしてのあなたへの信頼が揺らいでいるときでしょうか。
「怖い」と逃げている場合ではありません。この問題を真摯に学び、率直に話し合うべきです。
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