「同和地区出身者」との結婚を考えておられる相談者様のことですから、島崎藤村の『破戒』は、読まれたかもしれません。瀬川丑松の、死を覚悟した苦悩や葛藤を、先祖がそれ以上の階層と決められた人たちは、無関心で許されることでしょうか。
息子のために素性がバレないよう地区から離れ、不便な山奥でひっそりと牧夫として暮らす丑松の父親が、親元を離れる息子に与えた戒めはただ一つ、(素性を)「隠せ」でした。自分の死に際に間に合わなかった息子への遺言は、それを「忘れるな」の一言でした。それを破ることは「社会に捨てられること、死地に陥ることだ」と戒めたのです。
『破戒』が過去の話になっていない現実
その素性を執拗に疑い、暴き、言い振らすのは、小学校教員の首座である丑松を追い落とし、その後釜に座ろうとする同僚です。後ろ盾にはその叔父や校長等、既得権益者がいます。
迷信を信じ、偏見から抜けきれない人達がいささかの罪悪感も持たず、むしろそれを正義と信じて人をおとしめていくことのはしたなさを、これほど明確に示してくれた小説を私はほかに知りません。
丑松より時代に遅れていると認めている校長は、その能力よりは自分へのイエスマンで周りを固めることに熱心です。差別者は時にコンプレックスや不満を抱え、無知であることは、ここでも例外ではありません。
読書感想文のようになって申し訳ありません。先祖が虚構のヒエラルキーの最下層と決められ、何百年という時を経ているのに、『破戒』が過去の話になっていない現実を見てください。私たちがこのことを憎み行動に変えるには、私が知る数々の悲劇を並べるより、この小説を未読の方はぜひ読んでほしいと思いました。
私の同和地区出身者の友人に、敏彦さん(仮名)という人がいます。学力優秀・性格は快活で容貌は飛びぬけて端麗な人でした。彼の存在で、「同和問題」に関するどんな迷信も偏見も、私には通じませんでした。
いつの頃からか、彼がいつも憂鬱な顔をするようになり、そして「自分はやはり日本を脱出する」と言い出しました。そして英語を熱心に勉強し始めましたが、その段階では、私は彼の深い苦悩をほとんど理解していませんでした。
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