19世紀から進化しない音楽教育に欠けた視点 起業して成功したメルボルンのホルン奏者

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『どんな子にも共通して話すのは、この世界は独自で固有の見方や声を必要としているということ。あなたたちは、あなた自身である必要がある、と。なんでもできるんだというマインドセットが必要。演奏が上手になるためだけの教育じゃない。

また、プロの楽団員たちの音楽演奏以外への道への転換を手助けする。演奏家としてのキャリアから、新しいキャリアに移りたいと考えている団員や怪我をしてしまった団員たちのために。ここでも本質は同じで、音楽家はたった1つだけ“演奏”ができるようになるだけの教育を受けてきたんじゃない。音楽の教育は、演奏以外にも実にいろんなことができるようにしてくれている。

音楽の教育を受けたわたしたちは、非常にユニークなスキルの組み合わせを持っていて、自分は音楽を提供することしかできない・やらないというマインドセットから離れさえすればなんでもできるんだ・可能なんだというマインドセットさえ持てば、本当に多様な方面で成功できる』

なぜ音大に入ったかという原点

筆者は、音大時代のある時点で、長らく忘れていた「そもそもなぜ、音大に入ったのか」という原点を思い出すことができた。

それは、初めて受けた楽器のレッスンがものすごく面白く、「自分もこうやって演奏を教えられるひとになりたい」ということがきっかけで、「それなら音大に行こう」と決めたのであった。中学生の頃である。

そのため、卒業前からSNSなどで、「卒業したらレッスン活動をしたい」ということをよく書いていた。それが、ある熱心なアマチュア音楽家の目にとまり、彼はドイツの音大卒業後、帰国翌日からわたしの家に押しかけてレッスンを申し込んでくれたのである。

その方は、その地域の中心的なアマチュア音楽家で、たくさんの方を紹介してくれ、ソロ演奏の機会も作ってくださり、大人のアマチュア音楽家が何を求めているか、何に困っているかを数年にわたり私に教え込んでくれた。

「顧客情報」と「マーケットリサーチ」が向こうからやってきたようなものだった。非常に幸運であり、間違いなくいまの筆者の仕事の基礎となっている。

しかし、音大ではそのようなことを考えるきっかけは皆無であった。アマチュア音楽家に対する意識・目線にいたっては、見下すようなものが多い。演奏能力=人間としての価値、という雰囲気が支配的であるからだ。

デ・ウェジャー氏は、音大に入る前から、「その後」と「自己実現」を見据えた問いを投げかけ、芸術活動を現実に根ざして手助けする活動をしているわけだ。

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