脱北者の元作家が送る波乱万丈すぎる人生 日本で生まれ海を渡り「党員」になった末に

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これまでにもちょくちょく、党員という言葉は出てきたが、北朝鮮では党員と非党員の格差は大きい。

学習会などでも、大事なことを決める際は、非党員は退出を命じられる。つねに、「非党員が党員にあこがれる」ようにシステムが作られているのだ。

党員には、過酷で重要な労働をしている人が選ばれやすい。たとえば、農業などだ。

「北朝鮮は労働者階級の国なので、あえて労働者になるというのは絶対に反対されません。むしろ褒められます」

街灯の火を消す仕事からはじまり、清掃車の運転、アスファルトの舗装、石垣を積む仕事などさまざまな労働をした。

「ただ働くだけではなく、人より早く出て働きはじめ、人より遅く退勤しました」

3年我慢すれば党員になれると踏んでいたのだが、それは甘い考えだった。在日朝鮮人であることもハンディキャップになった。

厳しい労働者生活を9年間続けたある日、出勤すると、

「党書記が呼んでいるよ」

と声をかけられた。行ってみると、その場で

「朝鮮労働党の指示であなたを党員にします」

と言われたという。

「膝がガクンと来て、そのまま号泣しました。うれし涙なんてわかりやすいものではなかったですね。ついにやり遂げたんだという達成感と、なんで俺はここまでしたんだろう?という思い。とても複雑な感情でした。たかが紙切れ1枚のことなのに、すごく誇らしいんですよ」

脱北、強制送還

そんな苦労をして手に入れた“労働党員”としての立場だったが、2006年に手放すことを決意する。手放すのは立場だけではなく、北朝鮮そのものだ。つまりは脱北である。

仕事の過程で違法に中国に上陸したときに感じた、開放感が忘れられなかったのだ。しかし、最初の脱北では捕まってしまい、強制送還されてしまった。

「北朝鮮は、民法刑法で裁かれると同時に、公民権が剥奪されるんです。つまり国民じゃなくなる。死んでもいいってことです。生き残ったら、再度人間としての資格をあげようという、そういう国なんです。そのときに体験した1年は本当に地獄でした」

刑務所にもさまざまあり、国際人権擁護委員会に登録されている刑務所は比較的楽な措置がなされる。外国人が来るときにはおいしいものを食べられるし、囚人服もいいものだ。

逆に労働教化所と呼ばれる刑務所はあまりに過酷だという。

「労働教化所は警察組織が統制するのではなく、囚人同士が統制しているんです。その規律がとても厳しい。元警察や党幹部だった人が入ると、『今までよくも搾取しやがって!!』と殴られてほぼ死んでしまいます」

金さんの場合、労働教化所で懲役6年になる可能性があった。そうなれば、ほぼ間違いなく死んでしまう。

「持っている人脈、アイテム、スキルを全部使って罪を軽くしました。なんとか強制労働4カ月にまで減刑したんです。ただ、強制労働所にも知り合いはいて、『兄貴、何やってるんですか?』とか言われて、恥ずかしかったですね」

そんな死ぬような体験をしたら、もう二度と脱北はしまいと思うような気がする。ただ、金さんは刑を終えた2カ月後、再び脱北をした。

「強制送還された人は、みんなキモが据わってましたね。一度外の世界を見た人は、その世界が忘れられない。野獣が肉の味を知ったら忘れられないのと同じでしょうか?」

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