脱北者の元作家が送る波乱万丈すぎる人生 日本で生まれ海を渡り「党員」になった末に

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大学を卒業する間際になり、金さんは大学の教師になれることになった。それは幸運だったわけではない。セイコーの腕時計をワイロにつかませたのだ。ただワイロをつかませるにしても、資格がなければ教師にはなれない。

金さんには1つ難点があった。母親のデータが何もなかったのだ。そこがハッキリしないと教師にはなれないと言われた。

「お父さんに連絡すると、すぐに本当のお母さんの名前や住所を送ってくれました。それではじめてお母さんが生きていることがわかりました」

実母は関東に住んでいた。日本人と再婚して暮らしていた。名前と住所を知り、それで大学の教師になる道が開けた。それで十分だったのだが、せっかく本名と住所がわかったので手紙を書いた。

すると、返信はすぐにきた。そうして実の母親とまた縁がつがなった。経済的支援もしてもらえた。

ただ、悲劇が起こった。

父親が刑務所に収監されてしまったのだ。父親は、刑務所から母親に手紙を書いた。

「手紙は、『俺が拘束されている状態だから、自由になるまでお前がきちんと面倒を見ろ』という内容だったんですよ。実のお母さんの旦那さんは、私からの手紙はまだしも、元夫から手紙が来るのは面白くないじゃないですか。しかも刑務所の中からときている。結局それが原因で離婚してしまったそうです」

そんな父親は1995年、阪神・淡路大震災で亡くなってしまった。

実の母親とは、現在も交流がある。

大学の体育の教師になったが…

そうして、念願かなって大学の体育の教師になった。ちなみに北朝鮮は大学2年までは体育の授業がある。大学には女子バレーボールチームがあり、チームの監督も兼ねていた。年に2回、全国大会があり、それに向けて練習をしていた。

北朝鮮の入学方式は国家計画制度に基づく非常に厳しいものだ。

しかし、大学には特例入学というのがあった。バレーボールの教師は、フリーパスで優秀な人材を入学させられる権利があるのだ。

金さんは優秀な女性を見つけ入学させることにした。両親の元に行ってお願いもした。ところが大学の学長はその女性ではなく、党の幹部の娘を特例入学の対象に選んだ。

「私は両親に会いに行って『連れていきます。お任せください』って言ってますからね。立場ないですよ。学長室に行って『てめえこのやろう』ってケンカになって、椅子を投げつけました」

日本ならば一発でクビになりそうだが、北朝鮮では学長に教師を辞めさせる権利はない。党が人事権を握っているのだ。

元戦争孤児だった党の書記に、

「お前も孤児同様の立場なのに何をやってるんだ? ヒラの教師が学長に手を上げるのは間違っている。どうする?」

と聞かれたので、金さんは

「辞めます」

と答えた。

「そもそもちょっと辞めたかったんですよ。学長と反りが合わないのはもちろんですが、自宅から学校までの距離が遠くて。自転車で1時間くらいかかるところに住んでいたので、大変だったんです。冬場は道路が凍ってしまってツルツル滑りますしね」

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