脱北者の元作家が送る波乱万丈すぎる人生 日本で生まれ海を渡り「党員」になった末に

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おじは金さんに、金さんの父親に「物品を送ってくれ」と手紙を書けと強要した。

それが嫌で一度、父親に

「おじに無理やり手紙を書かされている」

という真実の手紙を出したところ、手紙を片手におじが金さんの前に現れた。

「なんだこの手紙は!! クソガキ!!」

と怒鳴られ、ビンタされた。

「私はたしかにポストの中に入れたんですけどね。おじが地域の行政委員会(日本の公務員のような存在)に私が手紙を出したら俺のところに持ってきてくれと、手を回していたんでしょうね。完全に違法行為ですが……」

おじとはまったく反りが合わず、高校を卒業した後に家出をした。

北朝鮮での作家生活を中心につづった『跳べない蛙』(筆者撮影)

友達の家を数カ月ずつ渡り歩いて生活した。そのうち体育団のバレーボール部にスカウトされた。活動するうちに、党の幹部に

「もったいないから、勉強をしろ」

と言われた。

そこで大学に進み、寮に入ったものの、そのとき金さんは何も持っていなかった。

「北朝鮮では親類縁者のない人には無料で供給品がもらえます。ただ、私の場合は、おじが勝手に私を自分の籍に入れてしまったんです。だから供給品はもらえませんでした」

まず、布団がなかったため寮の友達の布団に入れてもらった。

服も、北朝鮮では生地を買ってあつらえるのが普通であり、商店などでは服は売っていない。学生服を買うお金もなく、いつも作業服のような服を着ていた。

必要なときは友達から、背広やズボン、ベルトを借りて着ていた。サイズが合わず、みすぼらしいありさまになった。

いとこが、訪問団として北朝鮮にやってきた

1981年に日本に住むいとこが朝鮮学校を卒業し、訪問団として北朝鮮にやってきた。

久しぶりに会ったいとこは、そんなみすぼらしい格好の金さんを見て涙を流した。

反りが合わなかったおじは、金さんが家出をした後は勝手に金さんの父親に手紙を書いていた。

「悪さばかりするので、警察にお金を渡さなければならない。至急送ってくれ……とかすごいデマを言ってたんです。おじは本当に最低の人間でしたね」

ホテルで面談中、いとこは突然、金さんをトイレに連れていった。そこで

「なんで3年も日本に連絡をとらないんだ? お前の父親はひどく心配している」

と言われた。

「事情をやっと話せました。いとこはテープレコーダーを持ってきていて、すべてを録音して父親に伝えました。それからは父親が大学に直接、服や毛布などを送ってくれるようになりました」

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