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流通しているお札に証紙貼り、日銀職員が総出、休日返上で対応/「換物運動」が広がり、日銀券の発行高はほぼ倍増 「預金封鎖」から80年③

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証紙が貼付された100円札
証紙が貼付された100円札(写真:毎日新聞社/アフロ)

1945年8月の終戦から4カ月後、大蔵省は預金封鎖と新円切り替えの方針を固め、本格的な準備に入った。「金融緊急措置」と命名された極秘プロジェクトを担ったのは、銀行課長の河野通一(のち日銀副総裁)、文書課長の愛知揆一(のち蔵相)、そして戦後緊急対策企画室幹事の西原直廉(のち理財局長)である。

3人は方針決定の前から図上演習を行っていたが、高い壁にぶつかっていた。河野は後の座談会でこう回想する。「古い札と新しい札を替えなければいけない。一体どうしたらいいかと。あの当時の印刷能力というのは、新しい札を刷るなんてとてもできない」(『ファイナンス』72年4月号)。

証紙を貼り「暫定的な新札」として使うアイデア

過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

累次の空襲で印刷工場の多くが破壊され、停電が頻発し、輸送能力も不足していた。西原によると、日銀券の製造には通常凹版印刷を用いるが、難しかったため、暫定的に平版印刷を民間委託したいと考えた。だが、GHQ(連合国軍総司令部)は認めなかったという。

印刷能力に加えて、もう1つ課題となったのが秘密保持だ。もし通貨交換の情報が事前に漏れると、社会が混乱に陥るのは目に見えていた。新札を大量に印刷・運搬しようとすれば、どこからか情報が漏れ出すおそれがある。

河野は「何分にも短期間のうちに実施しなければならないし、事柄の性質上、事前にこの問題が漏れるということを心配いたしたのであります」と振り返る(戦後財政史資料『通貨措置の諸問題』)。

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