「青田買い」「AO入試」が今後も増え続ける必然 「学力だけ」では大学に入れなくなりつつある

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折よく一般教養の教員に俳諧の専門家がいて、彼女は4年間、その先生の下で望む学びを成就したが、それ以外の多くの時間をどんな心持ちで過ごしたかと思うと、今でもやりきれない気持ちになる。

その点、推薦・AO入試では、その大学や学部・学科、時にはどの先生の下で何をどう学び深めるか、さらには卒業後の進路までをもしっかりと見据えて受験してくる。したがって、原則として不本意入学者はいない。

このことが、入学後のスタートダッシュの差となって表れてくるし、その結果がGPA等にも反映されるのであろう。学びたいものが明確なのだから当然ではあるが、学生と大学の双方にとって幸いなことと言えよう。

もちろん、高校の進路指導の質的向上もあって、一般入試で入学してくるほとんどの学生も同様にしっかりしており、あえて比較すればということにすぎない。

さらに、これは受験生の問題ではなく入試方法が抱える構造的問題であり、非があるとすれば大学側が対処すべき事項であろう。

だからこそ文部科学省も、一般入試において学力検査以外の多様な資料を用いて多面的・総合的に評価・判定することを求めているのである。

一芸に秀でた人には問題解決力がある

今一つの重要なポイントは、推薦・AO入試が、十分に練られた適切な方法を用いるとの条件付きではあるが、学力論的にもまっとうでありうるということである。

これも20年以上前になるが、いわゆる「一芸入試」を巡って、さまざまな議論が飛び交ったことがある。

典型的な批判は「大学は学問をするところであり、たとえ世界チャンピオンであっても、けん玉やコマ回しができることをもって大学への入学を許可するのはいかがなものか」というものであった。これについては、筆者もなるほどと思う。

一方、一芸に秀でていることを受験資格にしか用いず、そこに至るプロセスにおいて、いかに個性的・創造的・協働的な問題解決を発想し、現に成し遂げたかをこそ評価・判定の基準とした大学もあった。

当時、大学の担当者に話を聞いたことがあるが、「どんな種目であれ、目覚ましい成果を挙げるには優れた問題解決力を要する。それこそが大学での学修を支える重要な学力、さらには人生を切り拓く力と考えて一芸入試に取り組んでいる」とのことであった。

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