謙虚な老人を目の前にすれば、「ああ、人生なんてそんなものか。結局は夢も刺激もないものか」と思うことだろう。小さな世界で満足するような小粒な人間にしかならない。
作家の堺屋太一氏が、この頃の若者は「夢ない、欲ない、やる気ない」と評しているが、当たり前である。若者の身近である年長者が、自慢話をしないからだ。
ものわかりのいい老人ぶる必要はない
だから若者に対しては、若者のためにも謙虚ぶる必要はない。ものわかりのいい老人ぶる必要はない。
「いい老人」ぶってなんになる。恰好つけてなんになる。謙虚も過ぎれば卑屈になる。結果として、若者から希望を奪い取ってしまうわけだ。そんなことをしていったい何になるというのか。
過去の手柄話をせよ。自慢話をせよ。堂々と語って若者から、「あのクソオヤジ、偉そうに自慢ばっかりしやがって。それならオレは、絶対に、いつか、あのオヤジを見返してやる」「あの婆さん以上のことを成し遂げてやる。偉くなってやる。世界の大物になってやる」と思われるように振舞ったほうがいい。
「なにを偉そうに話しているのだ。あの年寄りがやったことより、数段上のことをやって、世界的な人物になってやる、今に見てろ」という気概をもたせる先輩になれ。
今の若者に気概がないのだとすれば、その責任は、謙虚な先輩、年寄り、老人にあるのだ。その自覚をもって自慢話をしていれば、やがては、「あのとき、あの先輩に自慢話をされて、発奮できた」「こういう成果を得られたのも、あのとき、あの老人から聞かされた手柄話がきっかけで、世界的な学者になれたからだ」「あの年寄りの話に刺激されたおかげで、このような成功を収めることができた」などと、ひょっとすると、ノーベル賞の授賞式などで、名前を挙げて感謝してくれるかもしれない。
高齢社会で、ますます年寄りが増えていく。50歳、60歳、70歳の人たちの層が日本社会では一番多くなる。だからこそ、年長者が主導して社会の空気をつくっていくことを意識的に心がけていかなければならない。過去を誇り、大声で自慢話をして、そして、明るい未来をつくりたい。そういう空気をつくりたい。
若者に反感をもたれながら、心のなかで憧れられるような生き方をしてみよう。勇気をもって、疎まれながら若者を刺激し、若者にやる気を起こさせる老人になろうじゃないか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら