50歳を過ぎたら葬儀には行かないほうがいい

心のなかで故人と語り合うだけで十分だ

およそ葬儀というものにはノコノコ出掛けるものではない(写真:Tanpopo / PIXTA)
松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏。若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった上司と部下の「常識・非常識」に続いて、「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」について書き下ろしてもらう。第2回は「葬儀にノコノコ出掛けてはならない」。

およそ葬儀というものにはノコノコ出掛けるものではない。故人、家族、親族と日頃から親密な付き合いもないのに、義務感だけで出掛ける。愚かとしか言いようがない。

70歳も過ぎると、葬儀の案内、連絡がたびたびくるようになる。よほどの葬儀には出ることになろうが、そうでない葬儀が多すぎる。たいていの人が、葬儀という場には似つかわしくない“信じられない場面”に出くわすのではないか。

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本来、葬儀とは、亡くなった人の冥福を祈り、また、生前の交誼に感謝しつつ、故人の徳をしのぶためのものだ。心は沈み、重くなるのも当然。

私自身もつい先日、ある親しい友人の葬儀に、寂しさを感じつつ静かに参列した。すると関係者の一人が声をかけてきたので、こちらはお悔やみの気持ちを言うと、相手は普段と変わらない、笑顔、大声で話をし、「どうぞ、こちらにおいでください」などと言う。

葬儀は社交場?宴会場?

彼だけではない。参列者の多くは、顔見知りを見つけては、おしゃべり。片隅の喫煙所では、紫煙を燻(くゆ)らせながら、男も女もこの場と関係ない話に花を咲かせている。誰も彼も、悲しげには見えない。あえて意地の悪い言い方をすれば、まるで知人が亡くなったのを喜んでいるような感じ。会葬を終えた後はまして、祭りのようなにぎわいである。

このようなことは一度や二度ではない。むしろ、たいていの場合がそうだ。葬儀は一つの社交場なのか。宴会場なのか。ゴルフの約束をしている人たちもいる。仕事の話をしている人もいる。

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