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50歳を過ぎたら葬儀には行かないほうがいい 心のなかで故人と語り合うだけで十分だ

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  • 江口 克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問
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いったい、なんのために葬儀に来たのかと疑いの心さえ芽生えてくる。偲ぶ気持ちもないならば、声をかけられたからといってノコノコ来るな、ということである。

葬儀そのものについても、一言申し上げておきたい。むやみに大規模に、知り合いに一斉に声をかけるような葬儀は、時代に取り残されておりませんか、ということだ。だいたい、冠婚葬祭のなかで、葬儀ほど厄介なことはない。

当たり前だが、葬儀はたいてい、突然やってくる。家族も親族も大変。悲しみのなかで準備しなければならない。そのうえ、故人をしのぶ間もなく、見も知らない人たちを迎え、戸惑うばかりだろう。

口ではいえないが、呼ばれたほうも迷惑

それだけではない。微妙な関係の相手なら葬儀に呼ばれたほうも、口にはできないが、結構、迷惑。大事な予定をキャンセルしなければならないこともある。出張先からなら、喪服の手配もしなければならないし、香典が必要なのか不要なのかも確認しなければならない。かなり手間がかかる。

呼ばれたのだからと参列すれば、「いや、遠いところ、参列していただかなくてもよろしかったのに。わざわざ、申し訳ありません。ただ、亡くなったお知らせだけのつもりで」などと言う。

それなら、連絡自体、後日でもいいのではないか、と思う。

そもそも葬儀には、笑顔の人、見知らぬ人はいらない。それよりも近親者だけで行うべきだ。しめやかに、しみじみと、故人を思い偲んだほうがいい。

そのように日頃思っていたら、最近は相当有名な方でも、家族、親族だけの家族葬をするようになったと、ある葬儀社の人から聞いた。誰でも同じようなことを考えているようである。それで、葬儀場も大きなホールのようなところは不要ということで、「今、ウチは、ほとんどの部屋を数人で家族葬ができる個室にしています」とのこと。

最近は、形式的な社葬や大掛かりな葬儀は、もう時代遅れと考える人も増えてきたということ。大いに結構。今後は会社の誇示や遺族の虚栄心のための葬儀はなくなるだろう。それが葬儀の本来であろう。

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