――事故から11年後、JR西は“人はミスをする”というヒューマンエラーの概念をやっと認識した。
JR西としては、事故はたるんで仕事をしていた現場個人の責任、という発想からの大転換でした。それが、人間誰しも意図せずミスを犯してしまうもの、という考え方に切り替わった。井手という人はとにかく積極的に現場に出て、どこかの駅にフラッと現れ不具合を見つけてはその場で激しく叱責したそうです。一駅長が雲上人から直接怒鳴られ、縮み上がって後日詫びを入れに行くと、井手氏は懐の深い言葉をかける。属人的に片付けちゃう。2人の信頼関係は強まるけど、その改善点が組織として共有されることがなかった。
安全思想を行き渡らせるのは、そう簡単じゃない
――にもかかわらず昨年12月、新幹線の台車枠に大きな亀裂が入ったまま走行を続けるという、新幹線史上初の重大インシデントを引き起こしてしまいました。
ヒューマンエラーは非懲戒、リスクアセスメントをレベルアップ、国際機関による第三者評価も導入と、淺野氏が訴えてきたことが成果となってきてよかった、と思っていた矢先の重大インシデントでした。その内容はまさにヒューマンエラーの積み重ね。新幹線を止めることへのプレッシャーを前に、異音と異臭の軽視、あいまいな報告、思い込み、聞き漏らし、確認ミス、判断の相互依存……と、安全感度の鈍いアホみたいなミスが連鎖して、破断寸前、残り3センチメートルまで亀裂が広がっていた。
あのまま走行を続けていたら大惨事となる事態でした。やっぱり3万人近い組織の末端まで、福知山線脱線事故後に確立した安全思想を行き渡らせるのは、そう簡単じゃないってことですね。
――松本さんの視座はつねに淺野氏の肩越しにあった?
淺野氏の「記録として残したい」という負託に応えようと取材は始まりました。そこから独自に組織内部へと入っていった。この本はいわゆる“お気の毒な遺族もの”にしたくなかった。あの事故で身内から3人もの死傷者を出した淺野氏がJR西の組織風土と安全体制の確立を求めていく。淺野氏の取った行動がどうやって3万人の巨大官僚組織を動かしていったか。
事故直後に相次ぎ出版された関連本は、いかに遺族が悲嘆に暮れたかや、JR西を巨悪企業として糾弾する本が多かった。でも僕は一刀両断して単純化するのでなく、実際に組織の中はどうだったのか、組織と個人をめぐる群像劇を描きたかった。つまり事故から13年経ったからこそ書けた本です。
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