福知山線事故の遺族が挑んだJR西との「闘い」 異例の出戻り社長との対話が転換点に

✎ 1〜 ✎ 238 ✎ 239 ✎ 240 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

――山崎正夫氏が社長に就任し、「安全意識の徹底、現場重視、技術重視の三つを柱に再出発」と宣言したことで風向きが変わった?

変わりだしたのは1年後。事故調査委員会の意見聴取会で当時副社長が責任逃れと事故調を否定する抗弁をした。あれは本当にひどかった。事故当事者としての意識ゼロ、未熟なダメ運転士がしょうもないミスをしたせいでわが社は逆に迷惑を被ってる、くらいの意識。それで猛批判を浴びる。そのとき初めて山崎氏も、このままじゃダメなんだと痛感したそうです。

“敗戦処理のショートリリーフ”が根性を見せた

彼自身、系列の清掃会社から出戻った異例の技術屋社長で、事務屋による権力体制の中で孤立していた。山崎氏が社長に就いたのは結果的によかった。井手氏としては、運転士が起こした事故なんだから技術屋のおまえがケツをふけと責任を押し付ける意図があったんでしょう。そうしたら山崎氏が意外に頑張った。“敗戦処理のショートリリーフ”が根性を見せた。

松本創(まつもと はじむ)/1970年生まれ。同志社大学経済学部卒業後、1992年神戸新聞社入社。2006年に独立。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材。著書に『誰が「橋下徹」をつくったか──大阪都構想とメディアの迷走』『日本人のひたむきな生き方』ほか(撮影:梅谷秀司)

――遺族・JR西の共同の課題検討会で、オブザーバー役を務めた作家の柳田邦男氏が報告書に書いてますね。「JR西の応答に(中略)、“2.5人称の視点”に近づこうとしている姿勢を感じた」と。

1人称を被害当事者、2人称を被害者側で支援する人、3人称は被害者に寄り添う視点のない加害企業や監督官庁や学者・専門家とすると、これまでの事故は“乾いた3人称の視点”でしか見られてこなかった。それで、被害者に寄り添いつつ客観的に事故を検証せねばという意味で柳田氏はそう表現された。淺野氏は身内から3人の死傷者を出した人でありながら、まさにそれを体現した人でした。

事故後何年かは、許せないという憎しみと、事故の背景を明らかにせねばという感情がない交ぜになっていたそうです。でもそこを切り離して、責任追及のほうは自分はいったん置く、“事故を社会化する”と。そしてJR西に共同検証を求めていくわけです。

次ページヒューマンエラーの概念の認識
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事