ちなみにお母さんは、この家族歴を特別なものとは思っていないそう。涼音さんに「これがふつう」と言ったため、彼女はそれを言葉どおりに信じ、「大学で知り合った人にそのまま話したらひかれてしまい、恥ずかしかった」と言います。どんな形の家族でも驚かれない社会になってほしいものですが、正直にいえば、私もちょっと驚きました(ポジティブに)。
涼音さんによると、お母さんにも発達障害の傾向があるとのこと(傾向は妹さんと近い)。また涼音さんの話を聞く限り、お母さんは困っている人をほうっておけない性格のようです。
「気持ちはわからんでもないです。私も元カレの引っ越しを手伝ったりしていて、受験に失敗して今に至るので(笑)。高校のときの元カレは両親がいない人で、18歳を超えているから児童相談所も対応してくれないし、20歳未満だから家を借りられない。それで私が受験勉強のとき、一緒に不動産屋に行ったりして手伝っていたんです」
親の離婚、再婚、再びの離婚。子どもの立場からしたら、不満や恨みもあるのでは? と思い水を向けてみましたが、どうもそういった発想はあまりないようです。
涼音さんが優しい性格であることや、親たちが適切な配慮をしてきたことも大きいのでしょうが(聞く限り、実父も養父も彼女を大変大切にしてきたようです)、もしかするとこれまで受けてきた教育の中で、「あらゆることを、まわりに合わせる価値観」が身に付いているせいもあるのかもしれません。
勉強と療育、両方したかった
これまでに、大人はわかっていないな、と感じたのはどんなこと? と尋ねると、「自分も(まわりのことを)わからないことのほうが多い」と断りを入れつつも、何度も口にしたのが「勉強がしたかった」という言葉でした。
「私は幼稚園にもあまり溶け込めていなかったし、一時保護所から戻った後は不登校になったので、母親は『この子に健常者のルートは無理だろう』と思ったらしく。その頃、埼玉から東京に引っ越したのですが、そのときに、特別支援学級に入れられたんですね。『(私が)頭がいいと思えない』とも言われていて。
特別支援学級は、一長一短ですよね。自分のために使える時間が多かったので、コミュニケーション能力はすごく伸びました。宿題もないので、ばかみたいに本や漫画を読んで、コミュニケーションのパターンを覚えたりして。それに私は、人間関係を考え過ぎるくらい考えて、家に帰るとうじうじ悩む“気にしい”なタイプなので、(支援学級にいるほうが)最初から孤立していて悩まないで済むのもよかったです。
ただ、勉強はすればするだけできていた、と自分で思っているので……。そうしたら、もうちょっといい大学に入って、ひとつでも自分の自信になることができていたのかな、というのはすごく感じます」
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