憲法改正論に目を背ける人に伝えたい超基本 変える必要はあるのか、それともないのか

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西田:そもそも憲法とは、最高法規であると同時に「国の長期的な理想や理念」を掲げたものでもあるはずです。憲法は「国がどこに向かって進んでいけばいいのか」困ったときに”共通の参照先”として存在するべきものといってもよいはずです。だからこそ、「(平和のために)われわれが守るべき価値とは何なのか」「どんな課題があるのか」などの知識と考え方を一巡させた後に、政治とは無関係に、ある種の「国民運動」として国民の議論が巻き起こったときに憲法改正運動が立ち上がるのであれば、それはそれで改憲の道もありうるものと考えます。

:現在の日本は北朝鮮有事など危機的状況といえます。4年前に集団的自衛権が整備されたのですから、このままアメリカに引っ張られるのは怖い。どこかで歯止めをかける必要はあるし、当然自衛隊員の命を守らないといけません。しかし私が疑問に思うのは、それは本当に、憲法改正で対応すべきことなのか。法律や規定を見直さず、一足飛びに憲法9条を改憲することにいささか疑問を抱いてしまいます。

西田 亮介(にしだ りょうすけ)/1983年京都府生まれ。東京工業大学准教授。博士(政策・メディア)。著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『情報武装する政治』(KADOKAWA)、『なぜ政治はわかりにくいのか』(春秋社)ほか多数。共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、共著に『無業社会』(朝日新書、工藤啓と共著)ほか多数。 専門は社会学、公共政策学、情報と政治等を研究。(撮影:梅谷秀司)

西田:まず、自衛隊が合憲か違憲か、という議論に関しては、これまで裁判所で違憲判決が出たことがないわけですから、学説上はさておき、自衛隊は実務上、合憲的存在であるというほかありません。もし違憲の存在を認めているというのであれば、そのような出発点から憲法改正して、突如立憲主義が尊重されるようになるとは思えません。それから文民統制の考え方で言うならば、歴史的にみても「解釈改憲」が効きうる分野と言えないでしょうか。戦後初期は旧軍人以外のものを「文民」としていましたが、その後、自衛隊が創設に至り、自衛隊員も除くと解釈されるようになっています。悪名高い「解釈改憲」ですが、過去には文民統制を強固なものにしたともいえますよね。

憲法の条文と解釈にはかなり複雑な側面があり、おそらく憲法学者と一部の法律の専門家以外は理解しがたい、つまり世の中で議論するに、極めてとっつきにくい状況になっている一方で、実務的にはほとんどの側面が「憲法変えなくても対応できる」のになぜ憲法そのものを変えなくてはならないのか、という問題は根強く残ります。

もう1つ、統治の強化という観点で言うならば、1990年代後半の「橋本行革」のときから、日本の統治機構の公権力は増大してきました。その一方で、それに対応して透明性を向上する、国民に対する説明責任を改善するような施策はそれに対応するほどには導入されないままです。だからこれらを「法律」で導入していく。それから、2010年代にも行政の人事を一元化することによって、官邸の機能が強化されましたね。森友・加計疑惑などにもつながっていっているとするのなら、要は統治機構の権力監視システムが徹底されていないのだから、これらを法律で対応させてから、さて、「憲法って本当に変えなきゃいけないの?」という議論を始めるということで十分ではないでしょうか。

憲法9条は自衛隊を見殺しにする

三浦:西田さんは憲法の規定からして「自衛隊は軍隊ではない」という立場にお立ちです。しかし、そうなると定義上は文民統制はいらないんです。誰も、警察や消防をシビリアンコントロールしろとは言わない。つまり、自衛隊が軍ではないという立場で、なおかつ特別な行動の制限やシビリアンコントロールを求めるというのは矛盾しているのです。加えて、日本独自の考え方として、自衛隊を日陰者にしておけば首を垂れるだろうというタイプの憲法観があります。それは国民すべてを平等に扱うべき人権の概念に反しています。なんとなれば、民主国家においては国民の意思次第で自衛隊にさまざまな活動を押し付けられるわけで、彼らは異論をあらかじめ封じ込められた存在なのですから。

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