憲法改正論に目を背ける人に伝えたい超基本 変える必要はあるのか、それともないのか
倉持:三浦さんのお話にあったように、私たち法律家の中でも見落としがちなのは、憲法9条は「統治の規定」だということです。ただし日本国憲法は特殊で、「人権」に入る前に総論として、「天皇と戦争放棄」が置かれています。これは、「戦争の記憶」です。天皇から国政権能を奪い、軍隊を無力化する必要があった。
国内最大の暴力は警察権、国外最大の暴力が軍事です。本来は、これら2つを憲法で統制しなければならなかったはずですが、憲法9条において“軍隊は存在していない”ことになっています。一方警察は存在しているので、憲法31条の「適正手続き」から始まって「自白を強要してはならない」など詳細にルールが記されています。同じように憲法でも自衛隊が組織されたときに憲法を改正して自衛隊および自衛権についての統制規範を明記すべきだったのですが、いまだに軍隊は存在していないものとして憲法9条が成り立っています。
僕はよく憲法9条を守ることを「虫歯とセラミック」に例えます。虫歯を治療して、きれいなセラミックを上から被せるとひとまず安心ですよね。しかし10年ぐらいしたらまた痛んでくる。見た目は腐らないセラミックできれいなままですが、治したはずの虫歯が悪化して神経までいってしまった、と。本来重武装組織の保持すら予定していなかった9条はきれいなまま一文字も変わらないが、その実、実際には自衛隊を保持し、集団的自衛権まで進行してしまった。ここにはなんらかの「手当」が必要です。
昭和の保守本流の知恵が生んだ「自衛隊」の解釈
西田:倉持さんがおっしゃるように自衛隊ができた順番が、憲法より「後」だったことはポイントの1つですよね。「憲法ができて70年、自衛隊ができて60年」。そして憲法解釈上、自衛隊は「軍隊」ではありません。これは屁理屈のようで自衛隊という限定されたかたちでアメリカの要求を受け止めつつ、経済に資源を投入して戦後復興に集中するというある種の昭和の保守本流の知恵でもありました。
それらを全部抜きにしてゼロベースで自衛隊の監査のあり方について議論できればいいのですが、そうはいきません。そもそも現状では、倉持さんの言う「立憲的改憲」に賛同している国会議員が多数を占めることはないでしょう。現在安倍首相がテーブルに上げている議論は、「自衛隊の明記」「緊急事態条項の創設」「参院選の合区解消」「教育無償化」の4つ。
今のところ倉持さんが提案される「憲法裁判所」の議論も出ていなければ、三浦さんの言う「自衛隊に関する監査を強めるような改憲のあり方」も現実味のある議論のテーブルの上に載っていません。であれば、やたらと盛り上がっている政治サイドの気運が冷めてから、倉持さんや三浦さんが望むような憲法改正案が与党の中から出てくるのであれば、そのときにそれらの憲法改正の必要性について冷静に考えれば十分ではないかと思いますね。
三浦:私は逆に「テーブルの上に載り始めている」と感じているんですよ。たとえば、2017年10月7日の「ネット党首討論」で、安倍首相は「シビリアンコントロールを憲法に入れる」ことも考えると発言をしています。あるいは今、自民党内で議論を率いている高村正彦副総裁は、2018年2月6日のBSフジ番組で、党の憲法9条改正案に「シビリアンコントロールの明記を検討している」「国会の統制というのを憲法事項にしたらいいんじゃないか」と述べています。自民党内では広まりつつある考え方ですし、公明党も反対するような事柄じゃない。ですので、十分実現可能性は出てきたというふうに感じています。
(構成:両角 晴香/ライター)
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